2025.06.27
【特別対談企画 VOL. 28】「やり切る力」と「しなやかさ」で組織は進化する──井村社長が語るADIのこれから
「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストを迎える連載企画。第28回は、株式会社アーキテクト・ディベロッパー 執行役員社長兼COO・井村航氏にお話を伺いました。IT企業での営業経験を皮切りに、メンタルトレーニング事業の起業、そして不動産業界へ。複数領域を横断しながら経営の現場に身を置き、事業成長と組織変革をリードしてきた井村氏。本記事では、スポーツに育まれた組織観や「やり切る」文化の継承、大きな転機を経たアーキテクト・ディベロッパーの未来像に迫ります。
ゲストプロフィール
執行役員社長兼COO 井村 航:日本ユニシス株式会社(現BIPROGY株式会社)にて5年間メガバンク向け資金証券系システムの営業に従事。その後、組織および人事マネジメント関連のコンサルティング会社を創業、3年後に当社創業メンバーとして参画。管理本部長、賃貸事業本部長、営業総本部長等を担当。2019年4月代表取締役社長に就任、2021年10月 代表取締役社長 兼 COOに就任、2023年3月 執行役員社長 兼 COOに就任、現在に至る。
目次
IT営業で鍛えた地力──“なんとかなる”という強さの出発点
――まずは、井村社長の現職に至るまでについてお聞かせください。
社会人になってからは、分野の異なる複数の業界に携わってきましたが、私にとってはそれぞれが独立したものではなく、一貫して繋がっているという認識でいます。2000年に社会に出て、最初はIT企業に入社し、メガバンク向けのシステム営業を担当しました。当時はITバブルの真っ只中でありながら、同時に“就職氷河期”とも言われた時代。ITの知識は皆無でしたが、「この世界に飛び込めば自分が鍛えられるはずだ」という期待感から入社を決めました。
実際に働いてみると、非常にタフな現場でした。お客様は日本有数のメガバンク。システムと業務が完全に一体化しており、ひとたび不具合が起これば、業務そのものが止まってしまうような、ミスの許されない環境でした。私はシステムを開発する立場ではありませんでしたが、営業としてどこまで支えられるか。トラブルが起きたとき、自分に何ができるのか。そんな問いを常に胸に抱きながら仕事に向き合っていました。
5年間の勤務を通じて、ITの基礎知識はもちろんですが、何よりも「心の強さ」が養われたと感じています。若いうちにあの厳しい環境で鍛えられた経験は、今の自分を支える確かな土台になっています。のちに経営危機のような局面に直面した際も、「きっと乗り越えられる」と前を向き続けることができたのは、この経験があったからだと思います。
また、「ITを理解していなければ、ビジネスは成り立たない」という感覚は、今も自分の中に強く根づいています。いまだテクノロジーの導入が遅れている不動産業界で、IT活用を推し進めてきた背景には、最初にIT業界を選んだことの影響もあると思っています。
スポーツの社会的価値を高めたい──メンタルトレーナーとの出会いが導いた起業
――社会人としての基礎を徹底的に鍛えられたと同時に、今の経営判断や組織づくりの土台を築かれた5年間だったのですね。その後のキャリアの転機についても教えてください。
私は学生時代にラグビーをやっていて、将来的にはスポーツに携わる仕事に就きたいと考えていました。ただ、まずは一人前の社会人として鍛える必要性を感じ、IT企業への就職を決めました。勉強のつもりで入社したわけではありませんが、そうした動機は確かにありました。
もともと独立したいという想いを持っていたこともあり、社会人3年目を迎える頃には、自分で事業を興すことを具体的に意識し始めていました。そして5年目に会社を辞め、学生時代に深く影響を受けたメンタルトレーナーの辻秀一先生に声をかけ、一緒に会社を設立することになったのです。
立ち上げたのは、メンタルトレーニングを提供する会社。上場企業の幹部クラスの方々を対象に、心の持ち方や集中力の高め方など、スポーツのメンタル理論をベースにした研修を行っていました。スポーツで活用されていた“心のトレーニング”の考え方は、ビジネスの現場にも十分通用すると感じていたからです。鍛えられるのは身体だけではなく、心も同じだという発想は、企業人にも響くはずだという確信がありました。
――「メンタルトレーニング」というテーマに、どうしてそこまで関心を持たれたのですか。
原点は、大学時代のラグビー部での経験です。当時3年生だった私は、「チームとしてどうすれば勝てるのか」を突き詰めていく中で、スキルや体力のように、心も意図的に鍛える方法があるのではないかと考えるようになりました。
そんなときに出会ったのが、応用スポーツ心理学の分野で知られる辻先生の著書で、「これは面白い」と彼のトレーニングをチームに導入してみました。複数の要因が絡むため明確な因果関係を語ることはできませんが、導入以降、チームのパフォーマンスは確実に上向いていきました。
中でも特に印象に残っているのが、「今日という日はもう二度と来ない」という考え方です。やる気を失って練習を流せば、上達するチャンスを逃して損をするのは自分。外部環境は変えられなくても、その中でどう集中するかは自分次第。コントロールできるものに集中する大切さを学びました。
社会に出てからも、「この考え方はそのまま使える」と確信しました。プレゼンで失敗しても、それを引きずるのではなく、「今やるべきことに集中する」。そうした姿勢こそがビジネスの現場でも重要だと感じています。
私にとってのスポーツは、勝ち負けに一喜一憂するだけのものではなく、社会とつながる価値を持つもの。スポーツの社会的価値を高めたい——それが私の志であり、起業のミッションでもありました。
不動産業界への転身──義父の誘いと自身の覚悟が重なった第二の創業
――その後、創業メンバーとして不動産業界に入られるわけですが、どういった経緯があったのでしょうか。
人生の新たなステージに踏み出すタイミングで、不動産業界で長く経営に携わってきた妻の父から「もっと大きな仕事をしろ」と背中を押されたことがきっかけです。私自身も、次の挑戦に進みたいという思いが重なり、不動産の世界に飛び込む決断をしました。実は、義父はレオパレス21の創業者であり、「カリスマ経営者」としても知られた存在。その退任後に新たに立ち上げた会社(当時MDI、現アーキテクト・ディベロッパー(以下ADI))に、私も創業メンバーとして参画するかたちで業界に関わるようになりました。まったく異なる分野への転身ではありましたが、自分の中では違和感のない流れだったように思います。
それまで取り組んでいたメンタルトレーニングのビジネスにも、ある種の限界を感じていた時期でした。社会的には意義のある事業でしたが、スポーツドクターである辻先生の代わりとなる人材を育てるのは容易ではなく、再現性の面でも課題がありました。業界全体の時間単価の観点でも、ビジネスとしての拡張性には限界があったと思います。
そうした状況の中で、義父からの誘いは大きな後押しとなり、「これは新しいチャンスだ」と前向きに受け止め、挑戦する決断をしたのです。もちろん、事業を畳むにはそれなりの準備が必要でしたが、数ヶ月をかけて整理を進め、新たなフィールドでの挑戦をスタートさせました。
もともと不動産や建築に対して強いこだわりがあったわけではありません。ただ、「よりスケールの大きな挑戦がしたい」という想いはずっと持っていましたし、結果としてこれまでのキャリアと地続きの自然な決断だったと感じています。
組織の急成長と過信──売上至上主義から得た教訓
――ここから事業は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長されていきます。もともと「3〜5年で独立する」と決めてIT業界に入り、実際に起業して軌道に乗せる。そして、さらなる大きなチャレンジができる環境へ。まったく異なる領域でも、ひるまずに挑まれてきた姿勢に、一貫した強さを感じます。
規模は違うものの、起業経験があったことで、「何をどうすればいいか」といった組織の立ち上げや経営の勘どころは、ある程度つかめていました。面接を初めて行ったり、M&Aを担当したりと、スピード感を持って組織を拡大していった時期です。
もちろん苦労もありましたが、応用スポーツ心理学に基づいたチームビルディング研修を提供する立場から、今度は自ら組織をつくり、実践するフェーズへと移行した、そんな感覚がありました。
事業としては、9年間で売上規模は1,200億円まで拡大しました。土地を仕入れ、開発し、販売するというデベロッパーのビジネスモデルにおいて、月40棟ペースというのは、今振り返ると信じられないようなボリュームです。
「本当に売れるのか」という不安は常にありましたが、当時のマーケットの状況にも助けられ、目標として掲げた数字は「必ず達成しなければならない」という空気が社内にも自分の中にもありました。不安と自信、その両方のバランスを保ちながら走り続けていたというのが当時の正直な実感です。
――急成長の一方で、課題もあったのでしょうか。
当時はとにかく数字に追われる日々で、売上至上主義に偏っていた部分があったと思います。リスクへの感度やコンプライアンス意識も、今と比べると十分とは言えませんでした。外部から評価を受けることも多かった一方で、「どこかで無理をして数字をつくっていた部分もあった」と感じることがあります。
その後、経営体制を大きく見直すきっかけとなったのが、2019年に社会問題化したレオパレスの施工不備問題でした。義父がレオパレスの経営から退いて10年以上経過していたものの、世間的なイメージとしてADIの前身であるMDIにも影響が及んだのは事実です。
当時MDIの代表取締役だった義父は、非常に早い判断で退き、株式もすべて手放すという決断を下しました。創業者として株だけでも残しておきたいという気持ちがあってもおかしくないと思いますが、「任せる」と一言。その潔さがなければ、今のADIは存在していなかったかもしれません。その後、2019年の頭に私が代表取締役社長を譲り受けると同時に、義父の保有株を売却するプロセスに入りました。
危機の中で選んだパートナー──再建と“二人三脚”で築く今
――経営体制の刷新にあたって、井村社長がどのような判断軸でパートナーを選ばれたのか、その背景についてもお聞かせいただけますか。
資金繰りに奔走しながらも、私はどこかで「なんとかなるだろう」という気持ちを持っていました。ですが、誰と組むかというのは非常に重要な判断でした。経営体制をどう再構築するか。そのパートナーを選ぶ役割は、私に一任されていたのです。
最終的にパートナーとして迎えることになったのが、当時、再建支援に関わっていたファンド側の中心的な担当者だった木本啓紀(ひろき)さんです。木本さんは、ゴールドマン・サックスで国内外の不動産投資や企業再生に長年携わった後、複数の企業で経営改革を手がけてきた実績を持つ方です。金融・不動産・経営再建のすべてに精通しており、まさに今の局面で必要なパートナーだと確信しました。
また私は、以前からITと不動産・建築の融合に強い関心を持っていました。この業界はテクノロジーの導入が遅れていると感じており、10年以上、自分なりに取り組んできたという自負もあります。木本さんとのパートナーシップに大きな可能性を感じたのは、戦略と現場、合理性と感情、それぞれを受け止めながら前に進んでいける関係性を築けると感じたからです。これは自分にとっても、会社や従業員にとっても、最良の選択だったと考えています。
木本さんは「企業再生のプロ」として、金融的なデータを軸に合理的に判断する視点を持っています。一方で私は、オーナーや従業員と向き合いながら、現場に近い「動く人間の部分」を担ってきました。合理的な数字だけではなく、そこにどう現場の温度感を加えていくかが、私の役割だと感じています。
経営判断や賞与、組織体制といった重要な意思決定は、常に二人で話し合って決めています。ほとんどの場合、「それ、僕もそう思っていました」となることが多く、意見の食い違いはほとんどありません。同い年ということもあり、自然と「ここは木本さんに任せよう」「ここは井村が出るべきだ」といった棲み分けもできています。まさに阿吽の呼吸と言える関係です。
再生からすでに5〜6年が経ち、今ではその関係性が社内にもしっかり根づいていると感じます。
木本さんが気を配ってくださっていることが伝わってきますし、だからこそ自分もそうありたいと思える。世界最高峰の企業で成果を出してきた方と一緒に働けるのは、自分にとっては“タダでビジネススクールに通っている”ような感覚でした。本当に多くのことを学ばせてもらいました。
テクノロジーと文化が融合する組織へ──「やり切る力」がもたらす変化
――お互いをリスペクトしながら、いい距離感で分担ができてきていることが、成長の大きな秘訣の一つなのでしょうね。木本さんとのパートナーシップ以降、組織にはどのような変化があったのでしょうか。今後の展望も含めてお聞かせください。
不動産・建築業界全体として、テクノロジーの導入にはまだまだ大きな伸びしろがあると感じています。当社では、これまでもITを活用した業務改善やサービスの強化に取り組んできましたが、今後はさらに、実行のスピードと徹底度を高めていきたいと考えています。
こうした動きの背景にあるのが、「やり切る」ことを大切にする当社の組織文化です。誰かにプレッシャーをかけて動かすのではなく、「目標を掲げた以上は必ずやり遂げる」という価値観が、社員一人ひとりに浸透している。私はそこに我々の強みがあると思っています。
――そこまで徹底してやり切れる力の源泉となっているのは、やはり組織文化にあったのですね。
創業者の影響も大きいと思います。掲げた数字や目標に対して「やり遂げる」という姿勢。それが時に社内に緊張感を与えることもありましたが、一方で、集中力やコミットメントの強さとして今も根づいています。
木本さんが以前在籍していたゴールドマン・サックスにも、同じような文化があったと聞いています。「決めたことは必ずやり切る」。その価値観に共鳴できたからこそ、私たちは今のかたちでパートナーシップを築くことができたのだと思います。
登山、キャンプ、そして家族──リフレッシュの中にある井村社長の素顔
――ここまでの道のりには、さまざまなご苦労もあったかと思います。そうしたプレッシャーの中で、井村社長ご自身が心を整えるために大切にされていることがあれば、教えてください。
自然が好きなので、登山は昔からの楽しみです。最近はなかなか泊まりでは行けていませんが、自然に触れるだけで気持ちが整う。若い頃はスポーツで発散していましたが、今は登山やキャンプ、それに子どもとの時間が自分にとってのリフレッシュになっています。
今、子どもが野球をやっているので、一緒に練習したり、週末はグラウンドに付き合ったりもしています。身体を動かして、適度に疲れて、しっかり眠る。シンプルですが、それが一番ですね。
変化の時代に向き合う──合理性と温かさを兼ね備えた組織を目指して
――最後に、業界全体が大きな変化の時期を迎えている今、井村さんがこれからの経営で大切にされていることをお聞かせください。
2019年を転機として、2021年には社名を「アーキテクト・ディベロッパー」に変更し、会社としても大きく変わりました。とはいえ、創業当初から受け継がれてきた”DNA”のような良い部分はしっかり残しながら、改善すべきところは丁寧にアップデートしてきたつもりです。
社内はよりフラットに、チャレンジしやすい環境が整いつつありますし、業績面でも安定してきました。とはいえ、不動産業には常にリスクがつきものです。最高益を出した会社が、翌週には倒れることもある。だからこそ、足腰を強くしておく必要があると考えています。
私たちは、「GP per capita」という指標を使って、組織の健全性と効率性のバランスを見ています。これは、正社員にかかる報酬総額と経常利益を合算した「GP(グロスプロダクション)」を、正社員数で割って算出するものです。一方で、効率だけを追い求めるのではなく、お客様との対面の時間もしっかり持ちたい。サービスの本質を忘れずにいたいと思っています。
会社としては、ITやテクノロジーを活用しながら、より人が時間をかけるべきことに集中できるような体制を追求していきます。業界の大手になること自体が目標ではありません。合理性とアットホームさ、その両方を兼ね備えた唯一無二の会社を目指していきたいですし、それは必ず実現できると信じています。
――事業における厳しさと真剣さ、そして人との関係を大切にする柔らかさ。自然体で語る井村社長の姿勢からは、変化の時代に必要なリーダーシップの在り方のヒントが随所に感じられました。本日は貴重なお話をありがとうございました。
ありがとうございました。
インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太
井村社長のおすすめ
インタビューの締めくくりに、井村社長から東京の”おすすめのお店や逸品”を教えていただきました。多忙を極める井村社長の日々の活力やリラックスの源になっている、とっておきの4選をご紹介します。
株式会社アーキテクト・ディベロッパー
執行役員社長 兼 COO 井村 航氏
〒104-0061 東京都中央区銀座4-12-15 歌舞伎座タワー10階
会社ウェブサイト: https://architectdeveloper.com/
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