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2023.08.29

特別対談企画(前編)戦略的に、そしてストイックに。地元・長浜で活躍する葛川社長に尋ねた挑戦し続ける秘訣とは?

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「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストをお迎えし、貴重なお話をお伺いする連載企画。第22回は、滋賀県長浜市で長浜地域に向けた不動産管理業を展開する株式会社エム・ジェイホーム 代表取締役社長 葛川氏にお話を伺いました。前編では、葛川氏のパーソナルストーリー、不動産業界での起業を決めた背景、事業ヒストリーについてお話しいただきました。(前編/全2回)

ゲストプロフィール

株式会社エム・ジェイホーム 代表取締役 葛川 睦氏
卒業後、株式会社リコーへ入社し、コピー機の販売に携わる。販売を通じ、さまざまな業界の代表と接するなかで不動産業界での起業を決意し、不動産会社へ転職。在職中の2年間で賃貸仲介業務の経験を積んだ後、地元長浜の不動産企業へ転職し、土地開発業務に携わる。その後、株式会社エム・ジェイホームの前身となる企業で、不動産事業を立ち上げる。携わっていた事業を買収し、株式会社エム・ジェイホームを設立。趣味はバイク、お酒、美容。特に美容にはストイックに取り組んでおり、毎日のお手入れ・食生活はもちろん、クリニックでの月に一度のお手入れも欠かさない。

目錄

「チーム戦略の考え方は経営にもつながる」アメフト部のキャプテンを務めた学生時代

――今回はよろしくお願いします。会社についてお伺いする前に、葛川社長の子どもの頃について簡単に教えてください。

出身はエム・ジェイホームの本社がある、ここ滋賀県長浜市です。小学校の時から暮らしています。僕は小学校では学級委員長を、中学・高校ではアメリカンフットボール部(以下、アメフト)のキャプテンを務めるなど、いわゆるリーダー的な存在として動くことが多かったです。そのため自ずと「人の上に立つ仕事がしたい」「いつかは会社を経営したい」が将来の夢になっていました。

――なぜ、アメフト部に入ろうと思ったのですか? 今の柔らかい雰囲気からはアメフトの選手だったこと自体がにわかに想像できなくて(笑)。

入部した動機は、中1の体験入部で単純にアメフトがかっこいいと思ったからです。あとモテそうだからというのもありました(笑)。ただ実際にプレーして分かったのが、アメフトは対戦相手そしてチームにとって適切な戦術を立てることができれば、弱いメンバーの集まりでも勝てるスポーツということです。戦術的なスポーツという点に僕は大きな魅力を感じました。

――人が集まり、集団行動によって結果を出していくというのは、スポーツでも会社経営でも同じかもしれません。ある意味で個人の実技能力だけによらずチームの力を発揮するという、今につながる経験はアメフトで培われたのでしょうか?

はい。チーム戦略の考え方は、経営戦略にもつながる部分があります。チームビルディングや適材適所にメンバーを配置する点も非常によく似ています。

コピー機の営業としてさまざまな企業を見るなかで、不動産業界に出会う

――卒業後は、どのような人生を歩まれましたか?

最初はサラリーマンとしてコピー機の営業をしました。きっかけは、就活の時期に起業の仕方について相談した知り合いからのアドバイスです。

学生時代の僕は、いずれは起業したいという想いがある一方、何の分野で事業を起こしたいかが分からないまま進学していました。そんな時、「コピー機などの事務機用を販売する会社へ就職し、さまざまな企業を見て考えては?」と助言をもらったのです。僕は営業が厳しいと言われていたOA機器メーカーへ新卒就職することに決めました。

オフィスビルはもちろん、レストランや美容室など、さまざまな会社や店舗でコピー機を営業するなかで特に良くしてもらったのがある不動産会社の社長です。社長と話すなかで、不動産業で起業する気持ちが固まりました。業界について学ぶため、転職しました。

――不動産業界へ転職してからのことを教えてください。

起業準備の一環として2年間の期限付きで雇用してもらいましたが、ひたすら仕事に打ち込んだ結果、賃貸業務を覚えることができました。次に不動産売買やデベロッパー開発に関する仕事を覚えたいと思い、地元・長浜の不動産会社に事情を話した上で転職し、土地開発業務に1年間携わります。

その後、多角的にさまざまな事業を行うある地元企業の社長から同社の不動産事業の立ち上げをお願いされ、店長として働くことになりました。この事業が、今のエム・ジェイホームの前身です。2年間で約6店舗を立ち上げた後、不動産事業は子会社化され、僕はその会社の雇われ社長になります。さらに事業を拡大するなかで主体的に事業を進めたいと思う中、会社を辞めるか、事業を買い取るかの選択を迫られました。すでに仲間が何十人といたので、金額どうこうではなく腹をくくりました。最終的には、会社の株を全て買い取り、僕はエム・ジェイホームのオーナー社長となりました。

――今のように外部から資金調達をすることが当たり前ではない時代だからこそ、お金の工面は相当大変だったのではないかと思います。当時、資金はどのようにして集めましたか?

家族や友人をはじめ、一部は銀行や知人から借りました。遊び仲間にまで連絡をしたりと、これまでのいろいろなつながりを駆使したことで何とか2億円を集められました。今振り返ると、その頃は何の保証もないのに周囲はよく貸してくれたなと思いますし、人とのつながりは金銭の多さではなく、想いや人となりが大きく影響しているんだと感じます。

――まさに葛川社長の人柄と人望があったからこそ、2億円が用意できたのだなと感じました。

戦略を立て、順序よくこなせば「地元(滋賀県)で勝てる」という自信があった

――不動産業に限らず、大阪や京都などの大都市で事業を行うことに魅力を感じる人は多いと思います。なぜ、葛川社長は腕試しの場所を地元・滋賀県長浜市にしたのでしょうか?
経営戦略を立てて戦えば、地元でも十分勝負になると考えました。なぜなら不動産業界は経営戦略を立て、順番にやることを行なっていけば必ず勝てる業界業態だからです。特に不動産賃貸はその最たるものです。実際に戦略を立てている方が、皆さん事業を伸ばしています。何よりこの傾向は、大都市よりも田舎の方に強く出ていました。アメフトのように戦略を立て戦えれば「地元(滋賀県)で絶対に勝てる」という自信が僕にはありました。

――つまり、エム・ジェイホームの前身となる企業で事業立ち上げに携わったのは、地元に戻るという点で戦略的だったのでしょうか?

はい、僕はそう考えています。起業すると考えた場合、他人の資本で一気に事業を広げられるのなら、その方が早いと思ったからです。

――戦略的に自身の勝ち筋を見据えて戦う姿勢がお話から伝わりました。葛川社長は、代表に就任されてからMBA(経営学修士)やCPM(米国公認不動産経営管理士)を取られていますよね。役職があると時間を取ること、そもそも自身の学びに対し優先順位が低くなりがちだと思うのですが、そこまでご自身を駆り立てる情熱はどこにあったのでしょうか?

会社の社風にも掲げていますが、僕は「挑戦」という言葉を自身のモットーにしています。今の地位にしがみつき、安定するという考えが嫌いで、常に挑戦していきたいというマインドを持っているからです。

あとは、知的好奇心が強いこともあります。僕は自分の知識やスキルをアップデートすることを人生のライフワークとしています。

地方で賃貸の専門店は無理という声に負けず、オーナーそして入居者を集める

――ここからは、エム・ジェイホームを立ち上げから今の姿になっていくまでについてお伺いしていきます。2007年に管理事業を開始されましたが、「さあ、始めるぞ」と看板を掲げても、いきなりお客様がやってくるわけではありませんよね。正直、どのようにして仕事が始まり、広がっていったのかというイメージが湧かなくて。葛川社長がどのように事業を始められたのかを教えてください。

オーナー様への地道な営業の積み重ねです。僕が起業した頃、賃貸仲介・管理専門店自体が周囲にほとんどありませんでした。また、当時は広告料も管理料という概念もなく、今とは違い厳しい環境でした。地域の宅建業界に入会したときも「都会ならまだしも、こんな地方で賃貸の専門店がやっていけるわけないよ」と言われたぐらいです。周囲の厳しい声をよそに、僕たちは時間をかけてオーナー様との対話を重ね、1 ヶ月分の仲介手数料をいただく必要性などをご理解いただきました。

――入居者様はどのように集めましたか?

ネット広告がまだない時代だったので、駅前看板や折り込み広告などを活用していました。特に広告はコストがかかるので、印刷機を知り合いの会社から借り、自分たちで印刷を行なっていました。木曜日の晩に印刷し、金曜日の朝刊に間に合うように新聞社へ持ち込み、それを見たお客様が土日に来られるという流れをつくり、売り上げを伸ばしていきました。この頃は大変でしたが、目標に向かってひとつずつ物事を進めるのは楽しかったです。

――管理戸数は、どれだけ増えましたか?

エイブルのお陰もあり、2012年に管理戸数は1,000戸を超え、2015年には3,000戸、2018年には6,000戸にまで広がりました。さらにネット集客を強化するため、ネット掲載をリアルタイムで更新する専門チーム「反響対策室」を2018年に設置したところ、2019年の反響数は前年に比べ、約100%増加しました。これらの効果もあり、現在では管理物件の約95%が稼働しています。

周囲の意見には惑わされず、起業の最初に決めたことをストイックに

――その後は順調に賃貸から売買、建築と事業を多角化していくなかで、「滋賀で成功したから、次は京都や大阪などの大都市に進出し、事業を拡大する」というのが拡大に向けた一般論のように思います。資本の効率、外部への説明などの観点からも分かりやすいと思うのですが、地元・長浜を軸に、事業領域やモデルを広げていく選択をしたのは何がポイントだったのでしょうか?

時期によっては拡大路線で全国にという意見もありましたが、事業を水平展開するよりはこの地域で管理・建築を含め、垂直に広げる方がチャンスはあるのではないかと考えました。都市部に出ていくとライバルとなる企業や優秀な経営者の方も多いので、勝てる地域に資本を投下した方が効率的と考えたのが正直なところです。

――とはいえ、経営者によっては東京や大阪の大都市で行われている事業を見ると、周囲の誘惑や声から、自分も都会に行かなくてはと隣の芝が青く見える状態になる人も少なくないと思っていて。

僕は見栄っ張りではないので、そのあたりは気になりませんでした。あくまでも、起業当時に立てたストーリーに時間軸を決め、その通りに進めています。ストイックに物事を進める性格なのも関係していると思います。

――ここまでの話から、若いうちに大都市で働いたからこそ、周囲の誘惑に動じることなく、地方で事業を起こす強みを自ずと理解されていたように感じました。さらに長浜で業界経験を重ねたことで、地元で起業することの勝ち筋を見出せたのだとも思いました。まさに、学生時代に部活動で行っていたアメフトの試合前と同じように、地方と地元、それぞれの不動産業界と競合他社を綿密に分析し戦った結果が今まさに事業成果として現れているのだと思います。

後編へ続く

インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太

株式会社エム・ジェイホーム

代表取締 葛川 睦
滋賀県長浜市宮司町1126-2
会社ホームページ: https://www.mj-home.co.jp/

<本件に関するお問い合わせ先>

株式会社エム・ジェイホーム
Contact: https://www.mj-home.co.jp/contact

WealthPark株式会社 広報担当
Mail: pr@wealth-park.com

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