2025.12.18
【特別対談企画 VOL. 30】志でつなぐバトンリレー──生活プロデュース堀籠社長に聞く、承継と未来への挑戦
「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストを迎える連載企画。第30回は、北海道旭川市を拠点に総合的に不動産業を展開する、株式会社生活プロデュース 代表取締役 堀籠康弘氏にご登場いただきます。
「血縁ではなく志でつながる承継」。創業者・神氏の後を受け、生活プロデュースの新たな舵取りを担うことになったのが堀籠氏です。神奈川・札幌・東京での多様な経験を経て、旭川で不動産業に本格的に身を投じ、やがて管理戸数1万戸超の企業へと成長を牽引してこられました。今回は、堀籠氏のこれまでの歩みと挑戦、そして次世代に向けた展望について伺います。

ゲストプロフィール
株式会社生活プロデュースホールディングス/株式会社生活プロデュース 代表取締役 堀籠 康弘氏
旭川市内の高校卒業後、神奈川県にて日産自動車へ入社。以降、東京で建設業に従事したのち旭川へ戻り、地場不動産会社で12年間勤務。2006年に現会長の神氏とともに株式会社生活プロデュースを設立し、事業の立ち上げに携わる。2015年に生活プロデュースリーシング代表取締役に就任。2024年より生活プロデュースホールディングスおよび生活プロデュースの代表取締役を務める。趣味はゴルフと音楽活動。
目錄
都会に出て、働いて稼ぐ──旭川からの出発
──まずは、堀籠社長の現職に至るまでについてお聞かせください。
旭川市内で生まれ、子どもの頃はプロ野球選手に憧れていました。ところが父を亡くし、家庭が経済的に苦しい状況に。その経験から、進学よりも「働いてお金を稼ぎたい」という想いが強くなりました。同時に、地元を出て都会に行きたいという気持ちも膨らんでいきました。「とにかく都会に出る、働いて稼ぐ」というのが、自分の中で大きな目標になっていました。
高校を卒業するときに、学校からの就職枠もありましたが、地元に残る選択肢ばかりで、都会に出るものは多くありませんでした。唯一あったのが、神奈川の日産自動車の求人です。募集人数が2,000人と聞いて、「2,000人もいるなら入れるだろう」と、神奈川に行くことを決めました。
──神奈川に出てからは、どのような経験をされたのでしょうか。
最初は現場作業からのスタートでした。旭川から出てきた身としては「都会に来られた」という喜びもありましたが、実際に配属されたのは郊外の工場地帯で、イメージしていた華やかな都会とは違い、正直ショックもありました。それでも現場で必死に働き、社会人としての厳しさを肌で学ぶことができました。
その後、日産を退職して札幌に移り住み、すすきので不動産業に関わるようになりました。街の特性もあって、飲食業やサービス業とのやりとりが多かったのですが、「人が住む場所を提供する」という点に大きなやりがいを感じました。ここで不動産業の面白さを知ったのだと思います。
建設現場での学び、そして旭川へ戻る決意
──札幌で不動産に携わった後、東京へと移られたそうですが、どのような経験をされたのでしょうか。
札幌での生活では、若さもあって車や遊びにお金を使いすぎ、気づけば大きな借金を抱えていました。「このままではいけない」と一念発起し、東京で現場監督として建設業に携わりながら、返済をやり遂げることを最大の目標に必死で働きました。

現場では肩書きだけでは人は動かない現実を知り、自ら汗をかきながら職人に学びました。そうして建物が形になっていくプロセスを間近で体感できたことは、その後の基盤となる大きな財産でした。
遊びに出ることもなく仕事一筋の日々を送り、ようやく借金を完済。節目を迎え、「今度は腰を据えて働きたい」という気持ちに加え、母を地元に一人で残してきたこともあり、24歳の頃に旭川へ戻る決断をしました。
ちょうどそのとき、「札幌で経験した不動産の仕事が楽しかった」と思い出し、もう一度不動産の世界で挑戦しようと決意しました。そして入社した地元の不動産会社で出会ったのが、後に生活プロデュースを創業し、私の前任の社長となる神(じん)でした。
もう一度“不動産で勝負”──神会長との出会い
──不動産で本格的に勝負しようと決めたときに出会われたのが神会長だったのですね。
私が入社して配属されたのは、会社の中心となる店舗でした。そこにいた主任2人のうち1人が神(じん)。初めての挨拶で「今日からお世話になります」と言った直後に、「麻雀できるの?」と声をかけられ、「できますよ!」と答えたのが最初のやり取りです(笑)。

やがて2人体制で働くようになり、私も2年ほどで店舗を任されるように。4つか5つあった拠点のひとつで店長を務めることになりました。その頃は本当に毎日のように神と一緒に飲んでいました。夕方になると「今日どうする?」と声がかかり、自然に集まっていく。そうした時間の中で、神に教わることはどれも納得できる答えばかりで、自分には思いつかない視点を数多く与えてもらいました。
「こういう人になりたい」と憧れる気持ちがある一方で、神から褒めてもらえると「背伸びせずに、自分のよさを伸ばしていこう」と前向きになりました。私にとって非常に大きな存在で、当時の社長にも「神さんがいる限りは辞めない」と伝えていたほどです。
「二人ならできる」──独立への同行と創業の決断
──神会長が独立され、生活プロデュースを創業された際、堀籠社長も立ち上げに加わられたのですよね。
神自身は、私がついてくることを想定していなかったと思います。けれども私は「神が辞めるなら自分も辞める。二人なら何かできるはずだ」と、迷わず加わりました。当時の私は結婚したばかりでしたが、「3年は厳しいだろう」と覚悟し、妻にもそう伝えて背中を押してもらいました。融資をしてくれた金融機関の担当者からも「3年が勝負だ」と言われていましたし、実際に最初の数年はお客さんが全然来ない、本当に厳しいスタートでした。
──そのような中で、どのように突破口を見つけられたのですか。
当時はビッグのフランチャイズとしてのスタートでした。ブランドカラーのピンクの看板を旭川でも徹底して展開し、「あの派手な看板の会社だ」と覚えてもらえるようにしました。業界全体が広告宣伝に力を入れていた時期でもあり、私たちは「とにかく名前を浸透させる」ことに資金と手間を投じたんです。まずは街で見かけてもらう。その積み重ねが、来店や紹介につながっていきました。
「15年で1万戸」──創業期を支えた挑戦と実行力
──管理や仲介については、どのような工夫や挑戦を重ねられたのでしょうか。
私たちが最初に徹底したのは「管理品質を当たり前に高めること」でした。建物の清掃や設備点検など基本を怠らず、オーナーに安心して任せてもらえる体制をつくることです。同時に「客付けのスピード」も重視しました。入居希望者の問い合わせには即対応し、少しでも早く決める。その積み重ねがオーナーからの信頼につながると考えました。
──創業期から大きな目標を掲げられていたそうですね。
創業時に「15年で1万戸」という目標を掲げました。当時は無謀だと言われましたが、単なる数字遊びではなく「全員で同じ旗を見て走る」ための象徴でした。従業員にも「まずは一つの管理、一件のお客様を丁寧に」という姿勢を共有し、その積み重ねを全員で追いかけました。結果的にその旗印が力となり、実際に達成することができたのです。従業員一人ひとりが同じ方向を向き、本気で取り組んだからこその成果だと今も思います。

バトンを受ける重み──社長交代の舞台裏
──生活プロデュースが順調に拡大していく中で、今回の社長交代は大きな節目だったと思います。神会長の引退をどのように受け止められましたか。
神はもともと「50歳でリタイアしたい」と話していました。少し時期は延びましたが、最終的にはその言葉どおりに区切りをつけました。外からは「自然な交代」に見えるかもしれませんが、受け継ぐ側にとっては決して簡単なことではありません。会社のトップを引き継ぐ責任の重さを強く感じました。
──実際に引き継ぎの過程で意識されたことはありますか。
従業員やオーナーの皆さまに安心してもらうことです。社長が代わるというのは会社にとってもお客様にとっても大きな出来事ですから、不安を抱かせないように意識しました。サービスの継続性を守りながら、次のステージに向けて進む姿勢を示すことを大切にしました。
数から質へ──次の15年に向けた経営テーマ
──社長に就任されてから、責任や役割についてどのように意識されていますか。
代表取締役としての役職を引き継いだことで、会社の将来をどうしていくかを常に考えるようになりました。正直、事務や協会活動、ロータリークラブ、バドミントンチームの理事など、神から引き継いだ役割は膨大で「これはなかなかの重さだな」と感じています。
──長期的な経営のスタンスについてもお考えをお聞かせください。
不動産業界では40代でも「若手」と言われるほど長く続ける人が多いですが、私はそこに違和感を持っていました。自分自身も無理に長く続けるのではなく、60歳くらいを一つの目安にバトンを渡したく、引き際を意識しています。

──今後の経営ビジョンについて、特に大切にされている点は何でしょうか。
創業からの15年は「1万戸を目指す」ことに全力を注いできました。今は「数」から「質」へとシフトする時期だと考えています。オーナーにとっても入居者にとっても信頼される会社であり続けるために、管理の精度やサービスの向上を経営戦略として追求していきたいと思います。
「安心して任せてもらえる会社」であり続けるために
──プライベートについても少しお聞かせください。どのように過ごされていますか。
最近ようやくゴルフが楽しくなってきました。以前は誘われても断っていましたが、この2〜3年でようやく楽しめるようになったんです。
それから、バンド活動も続けています。高校時代の仲間や不動産業界の友人たちと組んでいて、パンク系のコピーやオリジナルを半々で演奏しています。コロナ明けのタイミングで再開したのですが、仕事の話は一切せずに純粋に音楽を楽しめる大切な時間になっています。
──最後に、今後の展望や読者へのメッセージをお願いします。
私にとって大事なのは、オーナーにも入居者にも「安心して任せてもらえる会社」であり続けることです。そのためには、「質」を高める経営を意識しながら、従業員や関わってくださる方々と一緒に取り組むことが欠かせません。
経営は一人ではできません。仲間と共に会社も地域も成長していけると信じています。神から受け取ったバトンを、次につなげていけるように。日々その思いを胸に、経営に向き合っていきたいと考えています。

インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太
堀籠社長のおすすめ
インタビューの締めくくりに、堀籠社長から北海道の”おすすめのお店”を教えていただきました。多忙を極める堀籠社長の日々の活力やリラックスの源になっている、とっておきの3選をご紹介します。
株式会社生活プロデュースホールディングス/株式会社生活プロデュース
代表取締役 堀籠 康弘氏
〒070-8002 旭川市神楽2条9丁目1-1
会社ウェブサイト: https://www.life-pro.net/
<本件に関するお問い合わせ先>
WealthPark株式会社 広報担当
Mail: pr@wealth-park.com


