2022.04.11
「20代は『生きるか死ぬか』の環境で駆け抜けたい」そんな私がWealthParkと出会うまで
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いい意味で「人と違う」自分になりたい
韓国の名門、延世大学。金仁赫は同大学のグローバル人材学部に通う4年生だ。
「生まれはソウルです。生後まもない頃、父の仕事で一家で日本に渡り、高校を卒業するまで日本で暮らしていました。4人家族で、韓国籍の父母と兄がいます。」
韓国籍というバックグラウンドを持ちながら、日本で育った金仁赫。小さい頃はどんな子どもだったのだろうか。
「とにかく負けず嫌いな性格でした。年の近い兄がいた影響もあり、小さい頃から他人に負けたくないという気持ちが強かったですね。地元の公立小学校に入ってからはその思いが一層強くなりました。というのも、名前が韓国名ということもあり、学校では『人と違う』という目で見られていたんです。でも、悪い意味で目立つのではなく、『良い意味で人と違う』を目指したいと思うようになりました。勉強もスポーツも、とにかく勝とうと思ってやっていましたし、悔しい気持ちをエネルギーに変えていました。泣く時は、たいてい何かで負けた時でしたね。」
そんな彼は、少し厳しい家庭で育ったという。基本的にやりたいことはやらせてくれる、欲しいものは買ってくれる家庭ではあったんですが、と前置きしつつ語り始めた。
「それをやることで何が得られるのか、それを買うことがどう自分のためになるか、を考えなさいという教育方針でした。勉強に必要なものや、学びにつながるものは際限なく買ってくれましたが、当時流行っていたゲームはなかなか買ってくれなかったですね。なので小さい頃から『それを買うことがどう自分のためになるか』を考えて親を説得することが癖づいていました。」
今見えている世界が全てではない
金仁赫の人生で最初の決断は中学受験だった。同級生のほとんどが地元の公立中学校に進学するなか、なぜ受験を決意したのだろうか。
「自分で言うのは少し恥ずかしいですが、小学生の頃は成績がかなり良かったんです。なので、絶対に中学受験をするって決めていました。」
彼は大阪にある中高一貫のインターナショナルスクールを目指して受験勉強に励んだ。
「小学生の頃はみんな同じものを好きになって、みんな同じことをやるのが当たり前の環境でした。でも、私はそれが嫌だったんです。どこかで『今見えている世界が全てではない』と思いながら過ごしていました。インターナショナルスクールには自分が期待する世界がありそうだなと思い、受験を決意しました。」
猛勉強の末、第一志望校の合格をつかみ取った。
「『今見えている世界が全てではない』は本当でした。入学したインターナショナルスクールの生徒の大半は外国籍でしたし、音楽やアメリカのNBA、洋服など、それぞれ熱中するものも違っていました。『同じが当たり前』だった小学校時代から一気に世界が変わりました。それと、当時は自分が韓国籍(外国籍)であることに強いコンプレックスを持っていましたが、様々なバックグラウンドをもつ友人らと過ごすうちに和らいでいきました。」
金仁赫は、この成功体験のおかげで挑戦することが怖くなくなったと語る。
「第一志望校に合格したという意味の成功ではないんです。自分が信じていたものがそこにあった、自分の選択が正しかった、という意味での成功体験です。これ以降、自分を信じて行動できるようになったので、この決断は人生のターニングポイントです。」
自分のルーツを追い求めて
中学受験で得た成功体験から、金仁赫は様々なことに挑戦した。中学3年生の夏休みには1ヶ月間オーストラリアでホームステイ、高校時代は自ら留学エージェントを探して1年間のアメリカ留学を経験した。そして帰国後、人生で最大の決断をすることになる。韓国の4年制大学への進学だ。日本国内や英語圏の大学に行くこともできたが、あえて韓国を選んだ背景には彼なりの思いがあった。
「韓国人であることが好きな時も嫌いな時もありましたが、自分が韓国人だということは変わらない事実なんです。でも韓国語は簡単な日常会話のみで、韓国の文化も詳しく知らない、韓国の同世代の若者の考えも知らない。それがすごく嫌でした。なので、韓国の大学に行って現地で生活することを決意しました。」
ゼロから韓国語の読み書きを勉強し、韓国の名門である延世大学のグローバル人材学部の合格を勝ち取った。順風満帆そうに見えるが、大学に入学してからは苦労の連続だったという。
「韓国語を勉強してきたとはいえ、大学の勉強についていくのは大変でした。でも私と同じような韓国籍の帰国子女の友人は韓国語もペラペラで、常に劣等感を感じていました。ただ、負けず嫌いな性格もあって『このまま終わりたくない』という気持ちもありました。」
驚いたことに、最初からこの苦労を覚悟して韓国の大学に進学したと語る。その真意をきいてみると、「面白い」こたえが返ってきた。
「中学、高校時代に海外を経験しましたが、大半の事はうまくいったので、自分の根本的な部分は変わりませんでした。その経験から、今度はあえて『困難な壁』に立ち向かうことで、もっと自分を成長させたいと思うようになりました。何があっても環境のせいにしないと決めて韓国に渡りました。」
「このまま終わりたくない」という思いが導いた、韓国軍への入隊
「『自分は韓国人だ』と言えるようになることが韓国留学の目標でした。その要素の1つが言語でしたが、大学で授業を受けているだけでは韓国語が上達する気配はありませんでした。これでは何も得られずに留学生活が終わってしまうと思い、軍隊に入って100%韓国語を学んでくる事を考えました。軍隊に行くことは、韓国人としての義務を全うすることでもあるので、大学1年生の時に入隊する決意をしました。」
韓国には徴兵制度があり、成人男性に18ヶ月以上の兵役が義務づけられている。しかし、外国に永住権や市民権を持っている場合、入隊は必須ではない。金仁赫もその1人だが、あえて厳しい環境に身を投じた。軍隊生活は21ヶ月にも及んだという。
「配属先は最前線、つまり北朝鮮との国境線でした。国境線での任務は国境警備と捜索隊の2種類あり、私は後者に志願し配属されました。捜索隊は、非武装地帯(偶発的な軍事衝突を避けるために設けられている幅4kmの緩衝地帯)に入って地雷を探したり、偵察をしたりすることが主な任務です。」
軍隊、それも休戦状態の国境線付近での任務は、肉体的・精神的にしんどくなかったのだろうか。
「もちろん身体は鍛えていました。訓練中だけではなく、自主的に筋トレもしながら身体を作っていました。当初は最前線の環境に緊張していましたが、徐々に慣れていきました。慣れるって、ある意味いい事だなと思っていて。今後の仕事もそうですが、厳しい環境に慣れて、それが『普通』と思えるぐらいになりたいと常々思っているんです。」
起業の理由は、海外旅行の資金集め?!
これまで大学での苦労や軍隊でのハードな体験について語ってくれた金仁赫。大学時代に熱中していたことを尋ねてみると、彼の意外な一面が見えてきた。
「実は音楽が好きなんです。中学の頃からバンドをやっていて、大学に入ってからはヒップホップにはまりました。ビートを作ったり、自分でラップをしたりしています。他には、日本で『焼き芋カフェ』を経営していて、これには精力を注ぎましたね。」
金仁赫は友人2人との共同経営で、2020年10月から兵庫県の猪名川町で焼き芋カフェを運営しているという。なぜ焼き芋カフェを始めたのだろうか。
「最初は2020年の夏に友人らと2ヶ月間アメリカに行く計画を立てていて、その資金集めのために事業をやろうと思いました。一般的な時給1,000円のバイトでは満足できなさそうだったのと、みんな別々でバイトをして資金を集めるよりも、お金稼ぐことも遊びにできたらいいなと思ったので、事業を始める決断をしました。偶然見たテレビの特集で、焼き芋販売なら簡単に始められると紹介されていて、自分たちにも出来そうだと思い決めました。実は当初、アメリカ滞在中に現地での販売を考えていたんです。」
ところがクラウドファンディングで資金集めをしようと思った矢先、世界はコロナ禍に見舞われる。
「芋の農家さんともコンタクトを取っていましたし、準備は進んでいたんです。コロナ禍でアメリカには行けなくなりましたが、このままカフェも止めるのは惜しいなと思って。最終的に2020年の10月に日本で開業し、現在は2年目に突入しています。私は韓国からオンラインで経営に関わっています。」
20代は「生きるか死ぬか」の環境で駆け抜けたい
2021年が明けた頃、金仁赫は日本での就職を決意した。大学で貿易系の勉強をする彼がIT企業への就職を目指した理由は何だったのだろうか。
「これまで色んな経験をしてきましたが、実は人生でやりたい事がまだ定まっていないんです。ただ、人のためになる仕事をするという軸はブレずに持っています。コロナ禍で一番感動したのがITの技術でしたし、働きながらこれからの新しい生き方を学べると思ったので、業界はITに絞りました。」
彼は、IT企業の中でもスタートアップを中心に見ていたという。
「20代は『働き死にたい』んです。私は軍隊生活により同世代よりも2年ほどスタートが遅れるので、とにかく追いつきたい、超えたいという気持ちが大きいです。なので、事業やサービスが確立されている会社より、スタートアップで『生きるか死ぬか』の環境に身をおくことが、自分が望むものへの最短距離だと思いました。」
最終的に複数のIT企業から内定を獲得したが、彼の心はすでに決まっていた。
「2次面接あたりからWealthParkが第一志望でした。一番の理由は、面接してくださる方々が『厳しそう』だったからです。他のITベンチャー企業はある意味『ラフ』な会社が多かったのですが、WealthParkは社員の半分が外国籍にもかかわらず、スーツを着てネクタイを締めて面接をしてくださる方ばかりで、スタートアップにしては珍しいなと思ったんです。早い段階から惹かれましたね。」
無事に第一志望のWealthParkから内定を得た金仁赫。就職活動中の方、これから就職活動をする方へのメッセージが届いているので、最後にご紹介したい。
「働いてワクワクできそうな会社を見つけることをお勧めします。給料や安定性も大事だとは思いますが、特に若いうちは経験が資産だと思っていますし、働いて楽しいと思えるかどうかも大事な要素だと思います。実際に私はワクワクする会社(WealthPark)から内定をもらうことができ、今から働くのが楽しみです!」
<インタビュアー>
渡邉あす香|Asuka Watanabe
愛知県出身。大学卒業後に人材会社に入社。
企業のITエンジニア採用支援に5年間従事した後、2020年にフリーのライターに転身。現在は就転職や採用関連の記事を中心に執筆している。