2025.05.02
【特別対談企画 VOL. 26】常識を疑い、誠実を貫く──アセットデザインカンパニー 亀田社長が語る“現場起点”の経営哲学
「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストを迎える連載企画。第26回は、福岡県を拠点に不動産の資産運用・管理を手がける株式会社アセットデザインカンパニー代表取締役・亀田征吾氏にお話を伺いました。
賃貸仲介からスタートし、管理・商品設計・資産コンサルティングへと視野を広げてきた亀田氏。誠実さと独自の視点を武器に、徹底して現場に向き合いながら、自らの価値観を貫く経営スタイルを築いています。本記事では、「常識を疑い、誠実を貫く」姿勢が導いた創業と、その先に描く不動産業の未来像に迫ります。
ゲストプロフィール
株式会社アセットデザインカンパニー 代表取締役 亀田征吾氏
福岡県福岡市出身。1997年から不動産業界へ。以来、賃貸仲介、賃貸管理、新築企画、不動産コンサルティングなど、総合的な不動産のマネジメントに携わる。2020年6月に福岡市にて、株式会社アセットデザインカンパニーを設立。その後、熊本、岡山にも展開。
TOC
- 「このままで本当にいいのか」──立ち止まって、飛び込んだ不動産業界
- 接客トークの時代に自分らしく、“知識”と“誠意”で勝負した12年
- 「数字を見える化」し、日陰の部署を1年で黒字に変えた現場改革
- 常識に縛られない目線で、誰が何のために住むかに向き合う
- 「組織の足かせになりたくない」──ゼロから始まった創業
- 自然と事業が形づくられていく──現場主義が切り拓く信頼の輪
- 完璧主義が生んだ“ちょっとしたスペース”── ユーザー起点の設計思想
- ツテがなくても動く──競合なき都市を見つける“足で稼ぐ戦略”
- 数を追わず、“人と資産の本質”に寄り添う。資産設計の伴走者に
- 趣味は仕事──“楽しさ”が社員やお客様に伝播するオフィスの仕掛け
- 亀田社長のおすすめ
「このままで本当にいいのか」──立ち止まって、飛び込んだ不動産業界
ーーまずは、亀田社長の現職に至るまでについてお聞かせください。
亀田:社会人になるまでの自分を振り返っても、残念ながら特筆すべきようなことはあまりありません。地元の高校を卒業後、大学には進学せず、夢や目標も持たずに漠然と日々を過ごしていました。
高校を卒業してからの2年間は、さまざまな仕事を転々としながら、夜は友人と毎日遊ぶような生活を送っていました。そんな日々の中、ある晩、友人たちと福岡の海を眺めながら、「このままで本当にいいのか」と、ふと立ち止まる瞬間があったんです。
ちょうどその頃、勤め先に、私にとても目をかけてくれていた5~6歳年上の方がいました。彼は不動産の賃貸仲介の経験者で、数字や目標に対するストイックな姿勢、そして仕事に向き合う熱意に強く惹かれました。
「どうすればあなたのようになれるのか」と相談したところ、「本気なら、自分がいた仲介会社を紹介してやる」と言ってくれて。私も腹をくくり、この世界に飛び込むことを決めたのが、ちょうど20歳の時でした。
接客トークの時代に自分らしく、“知識”と“誠意”で勝負した12年
ーー強い覚悟を持っての挑戦だったのですね。
亀田:「行くなら一番になってこい」と背中を押してくれたその言葉を胸に、仕事に取り組み始めました。入社して早々に教えられたのが、「トーク力を磨け。そう、ホストのようになれと」(笑)。服装や話し方など、見よう見まねでやってはみたものの、何かしっくりこない。
そこで、自分なりのやり方を模索しようと決め、地域の物件を熟知し、お客様の要望と物件をマッチングできるようになれば、必ず成果は出るはずだと仮説を立て、まずは徹底して地域の物件情報をすべて頭に叩き込みました。次第に成果が出るようになり、やがて「やり方は一つではない」と、自信を持てるようになっていきました。
ーー人と違うやり方を選ぶことに怖さはなかったのでしょうか。
亀田:実のところ、「人と違うことをしている」という意識はまったくありませんでした。ただただ、お客様がどうやったら選んでくれるのかを考え、試行錯誤しながら動いただけなのです。
当時は、新築の賃貸物件も少なく、広告も十分に活用されていない時代でした。私自身、未経験で業界に飛び込んだからこそ、そうした常識や先入観に縛られずに行動できたのだと思います。結果的に、成約も増え、業績も伸びていきました。
「本気でやれば、結果は出せる」──そう実感できたのが、まさにこの頃でした。
その後は、店長やマネージャーといった役職も経験し、通算で12年ほど賃貸仲介に携わってきました。今でも、私の仕事の原点は、お客様一人ひとりと真摯に向き合ってお客様のニーズを拾ってきた“現場”の仲介にあると思っています。
「数字を見える化」し、日陰の部署を1年で黒字に変えた現場改革
ーー賃貸仲介での経験が、今の原点だったのですね。その後、不動産管理や新築企画など、より幅広い領域に携われていかれたと伺いました。管理業務を任された当時のお話を聞かせてください。
亀田:当時勤めていた会社では、リーマンショックを機に経営方針が大きく変わり、中核事業を不動産の開発から賃貸管理を主軸とする体制へと転換しました。管理戸数は当時約3,800戸。しかし、クレーム対応が中心となる管理業務は、利益が出にくい「割に合わない仕事」とされ、社内でも敬遠される存在でした。そんな中、なぜか私がこの部門の責任者に任命されたのです。
ーー部門変更に際して、社員の意識や現場の空気には大きな差があったのではないでしょうか。
亀田:その通りです。売買や不動産開発が花形と言われる時代でもありましたので、管理部門に在籍していた社員たちは、「ここは日の当たらない場所だ」と感じていたようで、まるで目に光が宿っていないような状態で、とにかく何事にもネガティブな印象でした。
会社からは「2年以内に黒字化せよ」と明確なミッションが課されていましたが、常に現場は忙しく、時間外のミーティングを提案しても「残業代はちゃんと出るんですか」「やっても意味がない」と返される始末。現場の士気は著しく低かったと思います。
ーーどのように状況を変えていかれたのでしょうか。
亀田:まず取り組んだのは、「数字の見える化」です。自分たちのやっている仕事がどのように業績につながっているのか、現状を知ってもらう必要があると思ったのです。その過程で、適材適所の人材配置を行いました。
私は管理業務経験のない“よそ者”の立場でもありましたから、ここでさらに外部から優秀な人材を入れるのではなく、すでにいるメンバーの中にある力を信じて、それを引き出していくことが重要だと考えました。
亀田:その結果、1年で黒字化に成功しました。数字を見える化し、成果が出ると社員の目にも生き生きとした光が戻ってきました。
常識に縛られない目線で、誰が何のために住むかに向き合う
ーー特別な施策ではなく、足元の数字を丁寧に見つめ直し、社員の可能性を信じる。実に亀田社長らしいアプローチですね。管理業務で安定した収益を確保された後、投資アパート事業にも携わられましたね。
亀田:組織の再編が進む中で、任命を受けました。その時点ではリーマンショック後の影響から、アパートの販売も以前ほどではない状況。そこで、これまで賃貸仲介で積み上げてきた入居者のニーズに着目し、入居スピードが早く、入居率が安定して高い物件は必ず売れるという仮説のもと、新たな商品設計と販売戦略の構築に着手しました。
売買の実務も、建築の知識もまったくありませんでしたが、徹底的に学びました。半年後には、誰よりも詳しくなっていたと思います。賃貸仲介や賃貸管理の経験があったからこそ、「駅から徒歩30分でも、福岡市外でも、条件が合えば物件は売れる」と確信を持って提案できました。
ーー「徒歩〇分圏内」「市内限定」といった常識にとらわれることなく、その地域に暮らす人たちの実情やニーズに寄り添ったご判断だったのですね。
亀田:当時は「福岡市内の電車沿線徒歩15分以内」が販売の業界の原則とされていましたが、実際に結果を出せたことで、「県外でも通用する」という手応えを得ることができました。
その後、関東に進出したときも、単なるロケーションではなく、「誰が何の目的でそこに住むのか」という視点で可能性を見極めていきました。同時に、自分たちの考えやロジックを伝えるセミナーも開催し、徐々にファンの方が増えると同時に販売棟数も伸びていきました。
自分たちが信じるやり方を貫くことにはもちろんリスクもありますが、「やり抜く力」のようなものが勝れば道を開くことができると思っています。会社が長く続くために必要なのは、在庫を抱えすぎないこと。売れなかったときのために何をどう備えるか、そこまで想定して物件を設計することが大切だと思っています。
「組織の足かせになりたくない」──ゼロから始まった創業
ーーその後も順調なキャリアを築かれていた亀田社長ですが、あえて独立を選ばれた背景には、どのような思いがあったのでしょうか。
亀田:結論から申し上げると、「もっと成長したい」という思いが日に日に強くなっていたことが一番の理由です。組織の中での自分の成長に実感を得られなくなり、「このままでは、いずれ自分が組織の足かせになるのではないか」と危機感を抱くようになりました。
多くの方から「なぜ辞めるのか」と尋ねられましたが、私は組織にしがみつくよりも、成長し続ける人間でありたい。「10年後に成長意欲がなくなって後悔するなら、今動こう」、そう決意してからはもう迷いはありませんでした。
ーーオフィス開設直後に伺った際、亀田社長の表情が本当に明るく、まさに“新しい挑戦を楽しんでいる”という印象を受けました。本当にゼロからのスタートでしたね。
亀田:退職した際に多くのオーナー様から「物件を買うよ」「管理を任せるよ」とお声かけをいただきましたが、すべてお断りしました。現在もこちらから連絡を差し上げることはしていません。それが、18年間、お世話になった会社への筋道だと思ったからです。
また、ゼロからスタートして自分自身がどこまでできるのかを知りたかったという気持ちもあります。
自然と事業が形づくられていく──現場主義が切り拓く信頼の輪
ーーそのような筋の通し方が、まさに亀田社長らしいと感じます。前職の実績やネットワークに頼ることなく、実際には、どのように事業を立ち上げられたのでしょうか。
亀田:現在はアパート企画販売と賃貸管理が中心ですが、当初からそう考えていたわけではありません。独立前から「不動産を活用した資産形成ビジネスを軸にしたい」という思いはありましたが、具体的にアパート開発をイメージしていたわけではなく、構想はあれど、とにかく資金も情報も豊富ではない、まさにゼロからのスタートでした。
きっかけは、独立して間もない頃、熊本の金融機関の方から「不動産を購入しなければならないお客様がいるので、アレンジしてくれないか」と声をかけていただいたこと。これまでやってきた仕事ということもあり、その案件をスムーズに完結し、そこから熊本での事業が動き始め、ご紹介を通じて案件の輪が自然と広がっていきました。
ーー独立と同時に掲げられた「アセットデザインカンパニー」という社名にも、ライフスタイルや資産、お金に関わることすべてに責任を持つという決意が込められているように感じます。
亀田:はい。仲介や開発から始めたわけではなく、お客様からのご相談に一つずつ真摯に向き合っていくうちに、自然と事業が形づくられていきました。
完璧主義が生んだ“ちょっとしたスペース”── ユーザー起点の設計思想
ーーその過程で新しいアパート開発に注力されるようになったとのことですが、アセットデザインカンパニーの物件は、クオリティ・デザイン共に、非常に独自性がありますよね。亀田社長が商品企画で大切にされている視点やこだわりについて教えてください。
亀田:当時、企画していた物件はスタートから完成の1ヶ月前には満室になるなど、入居は好調だったのですが、案内をしたお客様のうち、3割程度のお客様が入居を決めてくれていない。そこが気になったのです。
私は少し完璧主義なところがあって、「100%ではないのであれば、そうじゃない原因をとことん突き詰めたい」という性格。提携している賃貸仲介会社にお願いして、現場に入らせてもらうようにしました。20数年ぶりに接客と案内も経験しましたよ(笑)。
その中で気づいたことは、1Kでは狭く、1LDKでは広すぎるという声が意外と多かったこと。これを商品化すれば、100%に近づくと思ったのです。元々、新商品の構想はあったので、お客様の声が裏付けとなり商品化し、同時にブランディングをしていきました。
商品化して、数ヶ月が経った頃、お部屋紹介YouTubeの方とのご縁があり、それが、公開されたことにより認知度が高まり、多くの問い合わせをいただくようになりました。今では再生回数が100万回を超えています。
お客様のリアルな声からヒントをもらい、それを商品に反映する。そういうプロセスこそが、不動産会社として本来あるべき姿だと強く感じました。情報が溢れるこの時代だからこそ、私たちのような現場にいる者だけが感じ取れる“生活感”や“違和感”を、設計や提案にどう活かしていけるか──それが私たちの物件に、少しだけ“他にはない価値”を加えているのだと思います。
ツテがなくても動く──競合なき都市を見つける“足で稼ぐ戦略”
ーー熊本でのスタートを皮切りに、販売棟数や管理戸数も着実に伸ばされてきました。今後のビジョンや新たな挑戦についても教えてください。
亀田:現在、福岡と熊本は、不動産価格の高騰が著しく、こういった市場状況の中では、これまでのモデルが通用しなくなる可能性もあります。私たちのお客様の多くは経営者で、資産形成に対して明確なビジョンと資金力をお持ちの方々ばかりです。
ですから、事前に徹底的に調査を行い、競合の少ない市場を開拓し提案することも選択肢の1つと思っています。そうした提案に対して「そこなら買いたい」と言っていただけるお客様がいることが、私たちの強みでもあります。
そこで、福岡からのアクセスも良く、競合が少ないと判断した岡山に進出しました。もちろん、縁もツテもありませんでしたが、自ら道を切り拓くことが重要だと考えています。
ーー岡山での取り組みも楽しみですね。福岡・熊本・岡山の複数拠点の運営には、また別のご苦労もあるかと思います。リーダーシップの観点から、どのように取り組まれているのでしょうか。
亀田:企業は人がすべて。人材獲得が難しいと言われる昨今では、やりがいと成長を実感し続けることができる環境づくりが大事だと思っています。地域が違えば文化も違い、当然、価値観や感覚も異なります。会社の進む方向性や起こった出来事の共有などは常々おこなってはいますが、拠点が増えると、どうしても思いが伝わりにくくなります。そこで、週に一度は必ず各拠点にいる人が全員集まり、顔を合わせて話す時間を設けています。
「本社」と「支店」というような上下関係ではなく、「場所は違えど思いは同じ」という考え方を共有し、時間を共にすることを大切にしています。
数を追わず、“人と資産の本質”に寄り添う。資産設計の伴走者に
ーー管理戸数2,500戸、企画販売100件超という実績がありながら、なお次のチャレンジへと進まれている。どのようなビジョンを描いていらっしゃるのでしょうか。
亀田:実は、管理戸数の数を追いかけるつもりはありません。私たちの本質は、不動産を通じた資産コンサルティングにあると考えています。
現在はアパートを中心に、その方に合った物件をマッチングしていますが、資産形成の形は人それぞれです。その方の資産全体のポートフォリオを理解したうえで、最適なご提案ができる会社でありたいと考えています。
不動産に限らず、相続や事業承継、税務など、多岐にわたるご相談をいただいています。だからこそ、「引き出しをいかに多く持てるか」が、これからの不動産会社の価値を決めると思っています。
趣味は仕事──“楽しさ”が社員やお客様に伝播するオフィスの仕掛け
ーー多忙な日々を送られていると思いますが、岡山や熊本など拠点も増える中で、どのように息抜きをされていますか。
亀田:実は、趣味がないんですよ(笑)。語弊があるかもしれませんが、私にとって仕事が遊びのようなもの。会社に来て、課題を解決したり、アイデアを思いついたりする瞬間が何より楽しいと感じています。
ーー会社に行くこと自体が楽しいというのは理想的です。オフィスにバーのようなスペースがあると伺いましたが、どのようなコンセプトなのでしょうか。
亀田:もともとは、社内にバーを作ってみたいという、ちょっとした思いつきから始まりました。当時は業績もまだ軌道に乗っていなかったですし、外で飲むとお金もかかります。だったら、社内で気軽に交流できる場を作ろうと。実際に設置してみたら、社員たちも本当によく飲むんです(笑)。
それに、お客様をお招きする場としても使えると思い、「手ぶらで来てください」とご案内しているのですが、皆さんいろんなお酒を持ってきてくださって。気づけば裏の棚はすぐにいっぱいになるほどです。
ーーそのスペースからは、社員やパートナー企業との距離の近さ、風通しの良さがよく伝わってきますね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
亀田:こちらこそ、ありがとうございました。
インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太
亀田社長のおすすめ
インタビューの締めくくりに、亀田社長から熊本・福岡の”おすすめのお店”を教えていただきました。多忙を極める亀田社長の日々の活力やリラックスの源になっている、とっておきの3選をご紹介します。
株式会社アセットデザインカンパニー
代表取締役 亀田 征吾氏
〒812-0011 福岡市博多区博多駅前3丁目22番6号
ビジネス・ワン博多駅前ビル6F
会社ウェブサイト: https://www.a-d-c.co.jp/
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株式会社アセットデザインカンパニー
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