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2021.01.25

KeyPerson’s VOICE (Part 1) Talk with Takuto Holdings’s Mr. Ota about Property Management and the Future of the Property Manager Business through Digitization

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「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストをお迎えし、貴重なお話をお伺いする連載企画。第3回は、”オールインワン不動産管理プラットフォーム”を掲げ不動産管理に関わる多くのビジネスを展開されている、 株式会社宅都ホールディングス代表取締役社長の太田氏にお話を伺いました。
前編では、太田氏の生い立ちから不動産業界との出会い、起業までの道のり、事業方針の変遷についてお聞きしました。(前編/全2回)

ゲストプロフィール

株式会社宅都ホールディングス 代表取締役社長 太田 卓利氏
和歌山県出身。大阪で働き始め、1987年に不動産業界へ。大手賃貸不動産会社を経て、30歳で株式会社宅都を設立。趣味は釣りと筋トレ。愛犬家の一面も持つ。座右の銘は「質実剛健」。

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部屋探しをきっかけに、不動産業界へ

――まずは太田社長ご自身についてお聞かせください。なぜ会社設立に至ったのか、過去から紐解いていきたいと思います。

太田社長:生まれは本州最南端の町、和歌山県の串本です。漁業と農業以外に産業のない町で、公務員とJAバンクの支店長だった堅実派の両親からは、幼少の頃から地元に残って公務員になれと言われていました。ただ、私自身は敷かれた道に対する反抗精神がありました。例えばアルバイトを探すときも、決められた時給で働くよりも、自分で何かを生み出す方が効率良く稼げると考える子供で、父親が趣味でやっていた漁業を真似してアワビやサザエを獲って、旅館に売り始めました。
結構な高値で購入してくれていたのですが、ある日突然お客さまがいないからと買ってもらえず、もう一つの旅館に持って行くと今度はもっと高く買ってもらえました。この体験を通じて、子供ながらに複数の卸先を持つべきだという気づきを得て、顧客開拓を開始し、増えた顧客数に対応できる様に漁獲量や輸送ルートも確保し、安定的に収入を得られる仕組みをつくりました。ほしいものがあってそうした行動に至ったわけですが、今となって経営者として振り返ると、常に自分の目標に届くための最短の方法を考えていましたね。

――現在の太田社長に通じるエピソードですね。

太田社長:都会ではなく、何もない環境で育ったからこそ、常に考える癖がついたのかもしれません。成人してからも、独立して何かをやりたいという思いが強く、短期間で大きな事業を成し遂げるには、方法として不動産か建設の二択を考えていました。ちょうどその頃に転居先を探していて、たまたまお願いした不動産会社で「賃貸仲介業」の存在を知り、非常に興味が沸きました。今から30年前の話ですが、賃貸物件を仲介する専門業種に関する本もなかったので、仲良くなったその不動産会社の店長の方達に質問して、自分で調べて勉強しました。結果的にその不動産会社で部屋も探してもらって、就職もすることになりました(笑)。

型破りな仕組みをつくり、結果を出していった前職時代


――起業までのキャリア展開を教えてください。

太田社長:入社したその会社は当時の業界最大手で、体系化して経営している会社でした。着実に営業成績を残したことを認められ、店長になったのですが、そこで求められることが一気に変わりました。一個人で成績を収めるのではなく、マネージャーとしてチームの成績を上げていくために、マネジメントやリーダーシップについて学び始めました。今思えば人生で一番勉強した時期かもしれません。この時、チーム一丸となって大きな数字を残すには、働く人達の気持ちになって物事を考えなければならないと気づかされ、今でも心に残っています。
その後、マネジメントにおいても一定の成果を収めて、複数店舗を担当することになりましたが、今度は遠隔で複数店舗をまとめる壁にぶち当たりました。色々な人に教えてもらい、自分で勉強し、仕組みをつくって、結果を出していきました。
例えば、私が担当する店舗では、一顧客に対して一営業マンで完結する従来の方法を無視して、独自の仕組みをつくっていました。週末にお客様が集中し、平日は比較的余裕があるので、契約処理チーム、応対チーム、案内チームと分業制にして、平日に契約書は全部作成し、週末は渡すだけにしました。学生の引越しシーズンには、10人乗りのバスをレンタルして一気にご案内することもしましたね。当時としては破天荒な取り組みを実施して、結果的に全国一位を取りました。全国の他店舗と同じ条件で勝負するならやり方を根本から変えないと。ただ、勝手にやっていたので、結果を出しても怒られましたけどね(笑)。

――分業制を取り入られたということですが、当時は特に「一顧客・一営業マン」、つまりは自分の顧客、自分の成績という意識が強かったと思います。どの様なリーダーシップを発揮されてメンバーの方を納得させられたのでしょうか。

太田社長:今もコミッション制は残っていますが、当時は歩合給の方が固定給よりも高く、その意識はもっと強かったですね。しかしながら、一人一人で応対していたら、一人につき3顧客が限界。となると、5 人の営業マンでは15契約が限界値になります。そこで、目線を変えて、40契約を取る為にどうするか考えましょうという話し方をします。40契約に対応できる分業制を提案して、結果を5人で割ったら一人当たりの契約数は倍以上になりますから、その方が良いだろうと。

――先に仕組みを発明して、説得されるというコミュニケーションですね。その様にマネジメントでも成功を収められて、いよいよ独立されたのですよね。

太田社長:その不動産会社で8年程修行させてもらってから独立する際、「太田不動産」として町の不動産の様な形で独立するか、それとも自身でネットワークをつくって多店舗展開で仕組みをつくるかという岐路がありました。私の性格上、後者を選ぶべきだと思い、コンビニの様な仕組みがないのかなと探していました。そんな折に名古屋の不動産仲介のミニミニが大阪での店舗展開を視野に入れている話を聞いて。結果的にオーナーと知り合えるきっかけがあって、支援もいただいて、今に至っています。あの時ミニミニの組織的なネットワークに加盟せずにやっていたら、今の自分はないと思っています。

管理に注力すべきだという教えを忠実に守ってきた


――なるほど。宅都ホールディングス様は賃貸仲介から始めて、管理事業を伸ばされていますよね。一方で、不動産業界では賃貸仲介から売買、開発にいく流れが王道だと思います。太田社長の中でも売買や開発は選択肢としてあったかと思いますが、今では世の中の中心になりつつある管理に当初から焦点を当てられたのはどういった経緯だったのでしょうか。

太田社長:一つは前職の教えで、賃貸業でエリアのシェア率を高めるには、オーナー様を掴んでいくことが重要だと叩き込まれていたからですね。商売する上で仕入れが大切なのは鉄則ですが、私達の場合はオーナー様との関係性が大切だと。だからこそ管理物件を増やすことを重視していました。もう一つは時代背景です。バブル崩壊後に売買で痛い目にあった人を見ていたので、賃貸業で独立するなら、賃貸仲介と管理という両輪をつくることが堅い方法だと考えていました。独立当初から有限会社宅都管理という会社を立ち上げて、サブリースをその会社で受ける様にしていたのも、先を見てサブリースを増やしていくという思いがあったからです。
独立までに巡り合った方々がたまたま堅実派で、その先輩の方々から管理に注力すべきだという言葉をもらいました。その言葉を忠実に守ってきたのが幸運だったと思います。最終的に弊社では売買や開発もやっていますが、管理と仲介の土台がしっかりしてから始めたことです。

――不動産業は時間のかかるビジネスで、安定はしているものの、伸びという観点でいうと忍耐の連続だと思います。その中で御社は短期間で他に類を見ないペースで成長され、自己資本で経営されている稀なケースですよね。これほどまでの急成長を支えた要因として何が挙げられるとお考えでしょうか。

太田社長:運や時代背景もあったと思いますが、仲介を伸ばしていく十数年間を経て、リーマンショックの時に主軸を管理に転換したことで、変化に対応できたと思います。創業から仲介7割・管理3割でやっていたバランスを途中で逆転させたのは一つの成長のポイントですね。
また、ビジネスモデルとして常に単価を意識し、管理賃貸マーケットの家賃単価が高いエリアに意図的に絞って店舗展開しているところも要因です。
同時に、ここまで大きく成長できたのは従業員の力です。創業して3年目で、日本総研にコンサルティングとして入ってもらい、上場企業並みの評価制度をつくってほしいと依頼しました。制度の導入時は苦労もしましたが、多店舗展開をして、従業員が増えた時を見据えて、平等な評価制度づくりに着手していました。大きくなった時に倒れてしまわない様に、木の幹をしっかりつくっておくことは創業時から意識していたことですが、そうした制度にも助けられて、私が大きな目標を掲げた時に一生懸命やってくれる従業員が多く育っています。

管理業に主軸を置いたことで、中長期の採用計画も可能に


――新卒採用や人材育成にも力を入れられていますよね。新卒またはアルバイトから入られて20年の中堅社員や幹部の方もいらっしゃる、まさに理想の組織像だと思いますが、早い段階から中途ではなく新卒を意識的に採用されていたのでしょうか。

太田社長:最初は余裕がなく、創業して12年程は中途で採用していました。新卒採用を始めたのはここ10年で、実は管理業に主軸を置く様になってからです。管理は予実管理やキャッシュマネジメントがしっかりできるので、中長期の採用計画も立てやすくなったといえます。とはいえ、初めて新卒を6〜7名を採用して、2年以内に全員辞めてしまったこともありました。当時は原因が分からなくて、これは全面的に社長が出ていかないといけないと考え、今でも私自身が全員面談を実施しています。入社前からトップの考えや企業文化を理解して、この企業で働きたいと思ってもらわないといけないので、選挙活動みたいですよ(笑)。

――管理という業態に対してモチベーションを持って参画してもらう為に、ビジョンを語ることに力を入れられたということですよね。

太田社長:管理業は依然として掃除やクレーム処理といったつらいイメージがありますし、過去には仲介の営業ができない人間が管理に回ってきた時代もあったと思います。しかし、今は管理の分野にもエースが増えてきましたね。業界の中でも、不動産管理業が欧米のプロパティマネジメントと同様に認知され、賃貸不動産経営管理士という資格もでき、士業として位置付けられる様になりました。若い世代も管理業について勉強していて、10年程前は賃貸の店舗で働きたいという応募者が多かったですが、今は不動産管理業で働きたいという応募者が半分以上います。法整備による国の後押し、グローバル化、IT化といった複数の要因によって、ここ数年間で流れが大きく変わってきていることを感じています。

後編へ続く

インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太

株式会社宅都ホールディングス

代表取締役社長 太田卓利
本社所在地 大阪府大阪市中央区高麗橋3-2-7 オリックス高麗橋ビル2F
事業内容 不動産仲介・管理・開発・住まいや暮らしに関するサービス提供を事業とする企業グループの統括・運営

<本件に関するお問い合わせ先>

株式会社宅都ホールディングス 経営企画本部 野村
Mail:y_nomura@takuto-net.com

WealthPark株式会社 広報担当
Mail:pr@wealth-park.com

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