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2022.01.21

特別対談企画(前編)東京建物不動産販売福居氏に聞く、社会課題への向き合い方と人々への価値提供とは

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「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストをお迎えし、貴重なお話をお伺いする連載企画。第12回は、125年の歴史を持つ東京建物グループで、主に仲介事業、アセットソリューション事業、賃貸事業を展開する、東京建物不動産販売株式会社 代表取締役社長執行役員 福居賢悟氏にお話を伺いました。
前編では、東京建物に新卒入社されてから現在までの福居氏のキャリアストーリーや、事業の変遷についてお聞きしました。(前編/全2回)

ゲストプロフィール

東京建物不動産販売株式会社 代表取締役社長執行役員 福居 賢悟氏
1982年に東京建物株式会社に入社し、法人仲介 、土地有効活用コンサル 、経営企画 、マンション用地取得 、CREといった様々な業務に従事。九州支店長、取締役企画部長、執行役員法人営業推進部長、取締役専務執行役員(ビル事業本部長兼関西支店、札幌支店、九州支店、名古屋支店担当)などを経て、代表取締役副社長執行役員社長補佐、アセットサービス事業本部長、東京建物不動産販売株式会社 代表取締役社長執行役員に就任。趣味はクラッシック音楽鑑賞。大切にしていることは、仕事をする上での信頼関係。

TOC

「ものづくり」に携わるために、新卒で東京建物に入社

――まずは、福居社長が東京建物様に入社されるまでのストーリーからお伺いさせてください。

出身は長崎県佐世保市で、高度経済成長期に入った頃に生まれました。高校は親元を離れて九州内の別の県で過ごし、大学進学を機に東京に出てからは基本的には東京と横浜に拠点を置いています。新卒で東京建物に入社したのは、「ものづくり」に携わりたかったから。住宅が不足していた当時の不動産の「ものづくり」は、都市開発よりも住宅建設がメインでしたが、私のような文系の人間でも何かをプロデュース出来る場として、不動産業界を選びました。また、私はあまのじゃくな性格で、大きな仕事にチャレンジしてみたい一方、出来る限り少人数の会社で働きたくて、たどり着いたのが東京建物でした。当時は採用人数も少なく、同期も総合職は6人しかいませんでした。

――「ものづくり」の観点からまちづくりができるデベロッパーを選ばれたのですね。入社当初はそういった開発業を中心にキャリアを積まれたのでしょうか。

いいえ、1982年に開発業を希望して東京建物に入社したものの、実際に配属されたのは法人仲介業でした。生意気な学生でしたから、当時の業界内で立場の強かった開発ではなく、お客様に頭を下げる部署に配属されたのでしょう(笑)。しかしながら、お客様の役に立ってはじめてお金をいただけることが実感出来る場所に配属されたのは、その後のキャリアの基盤をつくる上で良かったと思います。続いて、土地活用のコンサルティングを行う部署に配属されたのですが、バブル時代に突入していたので、銀行ともタイアップして、空いている土地の有効な事業手法をオーナー様に積極的にご提案していました。次の企画部に移動した時はバブル崩壊時で、これまでの高度成長期のビジネスモデルが見事に瓦解したので、5年かけて不動産の整理をはじめとする会社の立て直しに携わっていました。

東京建物で多岐にわたる部署で経験を積んだ後、東京建物不動産販売へ

――業界や会社の栄枯盛衰を20代から30代にかけて身をもって体験されたということですよね。バブルの後処理に従事された企画部の5年は、苦しい時間だったのではないでしょうか。

小さな会社ながら100年の歴史があり、基本的なビジネスモデルも大きくは変えられない中、他の部署が進めてきた仕事にストップをかけながら、地道に企業としての体制を整えていくことには、当然苦労や葛藤もありました。土地の価格が右肩上がりだった高度成長期やバブル期の価値観をシフトさせるとともに、協議体の整備や取締役会規則の全面的な改定といったことも行いましたね。人数が少なく、互いが顔見知りだったからこそ、勢いや勘でうまく回っていた部分もあったのですが、これからの時代には社内にリスクマネジメントの機能を備えることが重要だろうと。
約5年間企画部に所属して、リストラクチュアリングの仕事をした後、私のキャリアでは唯一の住宅事業である、横浜開発部に移動しました。といっても、私が関わったのは、住宅用地の取得・開発の「取得」の部分。入社時に志していた「ものづくり」には無縁なキャリアパスでしたが、その頃には、「時間をかけて何かをつくるよりも、外に出向いて新しい土地や情報を獲得する方が性に合っている」と感じるようになっていました。その後に、まさにそうした自分の特性を活かせるCRE(企業不動産)の部署を経験し、2002年からは福岡に移って福岡支店長と九州支店長を務めました。

―― なるほど。福居社長の略歴からビル事業本部に長く所属されていたイメージを持っていたのですが、実際は20年の間に様々な部署にいらしたのですね。

社歴が長いので一部を省いて記載していることも多いのですが、ビル事業に携わったのはキャリアの最後の方だけなんです。九州支店長の後は、2008年のリーマンショックの年から企画部の部長として再度リストラを担当しました。東京建物グループもそこそこ大きくなっていた中、金融の引き締めが凄まじく、倒産の危機すら感じました。出来る限り情報を開示しながら全社で危機感を共有しなんとか乗り越え、2012年にビル事業本部に移動してからは東京建物では同部門に所属してきました。そして、2021年に東京建物の役員を兼務する形で、仲介や賃貸管理、アセットソリューションといったサービスを提供する東京建物不動産販売の社長に就任し、今に至ります。
東京建物時代のキャリアを振り返ると、法人仲介や有効活用といった現在の東京建物不動産販売の事業領域に関わっていた時間も長いですし、一見すると別の事業であるビル事業本部にいた時もビルの空室を埋めるために、東京建物不動産販売の仲介事業に助けてもらったこともたくさんありました。ですので、東京建物不動産販売の社長に就任した際も、知らないところに来たという感覚はありませんでしたね。

体制の整備と事業の拡大を両輪で進めていくことが大切

――そうだったのですね。結果論かもしれませんが、2度にわたって会社の危機を中枢から支えてこられたというキャリアパスを伺い、福居社長が東京建物不動産販売様を率いるお立場に就かれたのは至極自然なことに感じています。バブル崩壊とリーマンショックの後、企業としての体制を地道に整えながらも、2002年に早くも上場された複合型J-REITによる出口の多様化や、豊島区との官民協業プロジェクトである「Hareza池袋」など、これからの不動産会社のあり方を示唆する先進的な挑戦を続けられていますよね。その時代の攻守戦略についても深掘りさせていただけたらと。

体制の整備と事業の拡大を両輪で進めていくことで互いに補完できますし、制度のみを厳しくしても身動きが取れなくなるので、新しいチャレンジは必要だと考えていました。今の東京建物の大きな第一歩になっている事業として思い出すのは、バブル崩壊後に手がけた錦糸町のオリナスですね。苦しかった時代ですが、工場跡地を購入して、東京建物が中心となって成し遂げた初の再開発事業となりました。東京建物は昭和初期から八重洲を拠点にしていたにもかかわらず、自分達の足元の街を再開発するという発想がなかなか生まれなくて。墨田区で機会が得られたことを機に複合施設を完成させました。この経験が「中野セントラルパーク」や「東京スクエアガーデン」、「Hareza池袋」といったプロジェクトにつながっています。

―― 事業の拡大としては、不動産の保有に依拠しないノンアセットビジネスにも舵を切られていますよね。福居社長は東京建物様の副社長も兼務する形で、東京建物不動産販売様の社長に就任されましたが、両社様の連携を強めてノンアセットビジネスを重点化させていくことへの想いもお聞かせいただければ。

東京建物不動産販売を中心としたノンアセットビジネスを、規模としても収益としてももっと大きくしていきたいというのは、東京建物の野村社長の想いでもあり、法人仲介からスタートした私自身の想いでもあります。どの不動産会社も、ビルの開発・運営事業、住宅の分譲事業に加えて、ノンアセット事業を3つ目の柱にしたいという考えを持っていますが、同業他社と比べると東京建物グループは遅れを取っています。これから仲介業でトップを目指すことは難しいかもしれませんが、我々は仲介専業ではないからこそ、法人仲介を軸として、賃貸管理とも連携した形で伸ばしていくことは出来ると考えています。東京建物グループの多彩な事業と融合させてワンストップでソリューションを提供出来るという優位性もありますし、グループの力を借りて助け合うことで、お客様の信頼に結びつくやり方を構築していきたいですね。

東京建物グループとしてお客様との接点を増やし、仲介の成長につなげていく

――創業から125年、ビル事業から始まって、住宅事業という第2の柱をつくり、第3の柱としてアセットサービス事業に注力されている段階ですよね。同業他社より劣後されているとおっしゃりながらも、御社が早くに土地活用のソリューションとして始められた駐車場事業は、次の売買に転用出来る素晴らしいビジネスモデルだと思います。

駐車場事業は、リーマンショックの傷も癒えず、資金もない中でチャレンジしました。駐車場ビジネスが注目を浴び始める前に日本パーキングを完全子会社化できたのは、タイミングが良かったと思います。土地のオーナー様と直接的な関係を結べますので、その後の資産運用や土地活用、相続のサービスにもつなげられるという意味でも、ポテンシャルの高い事業だと見ています。

――そのように、東京建物グループとして、M&Aも一部取り入れながら、お客様との接点を増やし、関わりを深くしていく仕組みをつくられていますよね。御社としてこれから重点的に力を入れていきたい分野を教えてください。

仲介業は大型物件を扱うことで成長が望めると思います。東京建物側で近年、物流施設、中規模オフィスビルなど投資家向け短期回転型の資産を扱うようになってきています。そうした物件のソーシングに我々が果たせる役割があると見ています。東京建物の物件を外部に売却する際の唯一の窓口を東京建物不動産販売が務めることで、新規顧客の開拓のチャンスになることを期待しています。これは、賃貸管理事業にも広げられる話で、賃貸オーナー様が物件の売却・購入をされることもありますので、その時に我々がタイムリーに情報提供出来る信頼関係を築いていることが肝要です。こうして、複数の事業を通じて当社、そして東京建物グループのファンになっていただき、大型物件を定期的に動かす顧客層とつながっていくことで、仲介業をもっと成長させていくことは可能だと考えています。

――なるほど。仲介、賃貸管理と並び、東京建物不動産販売様の事業の一つであるアセットソリューションの今後についてはいかがでしょうか。

アセットソリューションは、投資を伴うという点では、本来は東京建物のビジネスですが、仲介の延長で機動的に対応し、一旦物件を押さえ付加価値を高め売却していく、すなわち我々が東京建物では扱いにくい物件を取り扱い、売却益を享受し利益貢献する役割を担えればと思います。ただし、そうした物件の賃貸収益の発生によって安住してしまうことは避けたく、長く滞留している物件の回転率を高める取り組みを始めたところです。優良物件を保有して賃料をいただくのはあくまでも東京建物のビジネスであって、我々の役目は目利き勝負で旬の物件をさばき、困っているお客様にソリューションを提供し、商品化していくことだと考えています。

後編に続く

インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太

東京建物不動産販売株式会社

代表取締役 社長執行役員:福居 賢悟
本社所在地:東京都中央区八重洲1-5-20 東京建物八重洲さくら通りビル
会社ホームページ:https://www.ttfuhan.co.jp/

<本件に関するお問い合わせ先>

東京建物不動産販売株式会社
電話番号:03-6837-7700

WealthPark株式会社 広報担当
Mail:pr@wealth-park.com

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