2023.03.27
特別対談企画(前編)ソナーレ丸山代表の半生から学ぶ。父娘の事業継承ヒストリー
「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストをお迎えし、貴重なお話をお伺いする連載企画。第20回は、東京・神奈川・埼玉を中心に音大生や楽器愛好家に向けて楽器演奏が可能なマンションに特化した不動産仲介・管理を行うソナーレグループの 代表 丸山氏にお話を伺いました。前編では、丸山氏のパーソナルストーリー、事業が立ち上がった背景、丸山氏の仕事の推移などについてお話しいただきました。(前編/全2回)
ゲストプロフィール
ソナーレホールディングス株式会社 代表取締役 丸山 朋子氏
1976年東京生まれ、北海道大学法学部卒業。1998年、父の勤める楽器店の音大生事業部に宅地建物取引主任者として入社。1999年、父親が設立した有限会社ソナーレ・音大学生倶楽部へ入社し、仲介営業、滞納督促、管理業務、経理、総務、採用など、建築営業以外の業務をほぼ経験する。一度株式会社ソナーレを退職し、飲食店や講師業などの他業界を複数経験したのち、約1年半後に株式会社ソナーレへ復帰する。2013年株式会社ソナーレ代表に就任。その後、ソナーレホールディングス株式会社を設立し、同社の代表取締役にも就任。2018年株式会社ソナーレ代表を退任し、現職に至る。趣味はバイク(大型免許保有)、サーフィン(初心者)。特技は、ノラ猫、なつきにくい犬と仲良くなること。
TOC
法曹業界を目指し、北海道で過ごした学生時代
――今回はよろしくお願いします。会社についてお伺いする前に、丸山代表の子ども時代について簡単に教えてください。
私は丸山家の一人娘として東京都で生まれました。我が家は引っ越しが多く、小学校は3度転校しています。ただ、引っ越したり、これまでと違う地域で暮らしたりすることは、私には決してネガティブなことではありませんでした。大学も実家のあった埼玉県を飛び出し、北海道大学法学部へ進学します。
――なぜ、法学部だったのでしょう。
楽器店でピアノの販売をしていた父が、売掛や貸金などの金銭トラブルに合う様子を間近で見ていたため、お金を扱う仕事に就きたいと思えなかったからです。何より当時の私には、在学中に司法試験に合格し、検察庁で検事としてキャリアを積んだのちに30歳で独立し、北海道で国選弁護人として暮らすという野望もありました。
――北海道ではどのような大学生活を送りましたか?
北海道大学は半分以上が道外からの進学者のため、学内での交流イベントが豊富で、学部を超えて行われていました。私も理系の学生と仲良くなり、よくMacintosh(マッキントッシュ)のパーツを買って組み立てたり、アプリを使ってデータベースを作ったりして遊んでいました。
暮らしは快適でしたが、住み始めた1年目に札幌で50年ぶりの大雪が降ったり、外に出たら30分もせずに雪が膝下まで積もったりなどを経験し、最初は慣れない天候のなかで生きることに不安を覚えた記憶があります。当時、コンビニの早朝バイトをしていましたが、つるはしで凍った雪を砕いていたのは今ではいい思い出です。コンビニのスーパーバイザーが訪問するときに店長がよく立ち会わせてくれて、天候の分析などのシステムに感動したりもしていました。
――学生時代から活発だったのですね。現在でも、アクティブな趣味が多いと伺いました。
サーフィンとバイクが大好きです。バイクは20代の頃に大型免許を取り走り回っていましたが、会社を継ぐタイミングで周囲のアドバイスもあり一度はやめました。しかし、新型コロナウイルスの治療で入院した際に「バイクに乗らないで死にたくない!」と思い、今は月に一度レンタルバイクに乗っています。療養で一度は体力が落ちましたが、バイクに乗る筋力を付けたいと思うようになってからは、トレーニングが楽しくなりました。サーフィンも昨年の秋から体力作りの一環で始めました。
私は普段の印象から積極的に見られがちですが、実は人見知りです。バイクとサーフィンという趣味が共通点となり、他の経営者と会話するきっかけができ、新しい人のつながりが生まれました。
「司法試験の前にクリアしなさい」父と約束した在学中の宅建合格
――丸山代表が、不動産業界に足を踏み入れたきっかけを教えてください。
私がこの世界に足を踏み入れたのは、完全に父の策略です。すでに私が高校生のときから、策は仕込まれていました。高校時代の私は父と一緒に始発で通学していましたが、その時に父が読んでいた宅建の本がとても面白く、分かりやすかったのです。タレントを登場人物にして、宅建で扱う法律知識を説明しており、時々読ませてもらっては、受験勉強の息抜きをしていました。この時は、英語よりも宅建の方が面白いと思ったぐらいです。
――大学入学後、お父様からは何か言われましたか?
入学してすぐ、「宅建、行政書士、司法書士と順番に合格した上で、司法試験に受からないと法曹としては食っていけないぞ」と言われました。今でこそおかしいと分かるのですが、父も法学部出身ということで、すっかり信じてしまって(笑)。そのため大学1年のときから、学業と並行して、宅建の勉強を行っていました。
――勉強をかけ持ちするのは相当大変そうですね。
はい、そうなんですよ。最初は大学の勉強についていくだけでも必死だったため、1回目の試験には落ちました。結果を知った父からは「翌年受からなかったら、大学を中退させる」と烈火の如く叱られ……、あの時は怖かったですね。2年目はこれまで以上に勉強し、なんとか受かりました。無事に大学生活は送れたものの、4年生で受けた司法試験には落ちてしまいました。アルバイト先から正社員のお誘いを頂きましたが、父の策があり、部屋を解約されてしまい、卒業後は実家へ戻ります。
いきなりの独立報告に唖然とするも、事業は順調に拡大した
――卒業後、実家に戻り、どのような仕事からスタートしましたか?
父から「朋子の宅建免許を使い、これからは楽器演奏可能なマンションに特化した不動産業を始める。楽器販売業から脱サラするぞ」と言われました。いきなりのことで、私は状況が飲み込めなかったです。さらに父は、住宅ローンが支払い終わったばかりの実家を売却し、独立資金にすると言いました。すでに売却先も決まっていたため、私の最初の仕事は、犬2匹と家族3人が住むための家探しとなりました。
――お父様は、なぜ不動産事業を始めることにしたのでしょう。
ピアノのセールスを約30年する中で、ピアノが置ける賃貸物件の必要性を感じていたそうです。この思いから、1999年に有限会社ソナーレ・音大学生倶楽部を設立し、不動産賃貸管理業を開始しました。
――事業はどのように拡大していきましたか?
事業開始当初は仲介手数料が売上のメインでしたが、「これからは管理会社としての事業も始めますので、管理も委託してもらえませんか」と一件ずつオーナー様にお願いをしていきました。そこから、少しずつ保証業やビルの管理業などに事業を拡大できるまでになりました。
――なぜソナーレはここまで事業を拡大できたのだと思いますか?
常に父が自分の手足を使い、情報収集を行っていたからだと思います。父は当時ベンチマークとしている企業の方々に自分から会いに行き、必死に情報を得ようとしていました。その頃はインターネットが普及し始めた頃で、今のようにネットから情報を探すという概念はまだありません。時代背景的にも他社の情報にそこまで敏感な企業が多くなかったことから、当時の管理業界では企業間で情報交換を行うというのは斬新な状況だったと思います。我々は父が聞いてきた話を参考に施策や提案を検討し、私はその時々に必要な資格や免許を取り、会社として対応できるようにしました。
音楽業界に特化できたのは「独立前と顧客が変わらなかったから」
――なぜ、今のように音楽業界に特化した事業になったのかを教えてください。
私たちの顧客が、楽器屋時代から変わっていないためです。それこそ父がセールスとして楽器屋で働いていたころはグランドピアノの販売が一番の目的だったため、音大受験前の高校時代から購入してもらえるよう、全国の音楽高校に営業をかけていました。
しかし、不動産業になったことでピアノの販売にこだわる必要がなくなり、ピアノを使用する音大受験生以外にも、音楽に携わる学生や愛好家までを広くターゲットにすることができるようになりました。楽器屋時代からの強みを生かす意味でも、不動産業に変わってからも顧客は変えずに事業を行っています。
――物件の提案や企画なども行っていますよね。
楽器の音は、音楽をしない人にとっては嫌悪条件です。クレーム対応のリスクが常にあり、人の対応のコストがかかります。また、「音大生=裕福」という誤解があり、多くのオーナーがだまされて建築してしまい、売却も値下げもできずに相談を受けることが多々あります。これまでの経験から、クラシックを専攻する学生がどの地域を求めているかを知っているからこそ、我々は場所や街の目利きが得意です。だからこそ、オーナー様たちには「竣工後は我々で満室にしますから」と自信を持った提案が行えました。
インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太
ソナーレホールディングス株式会社
代表取締役 丸山 朋子
東京都品川区大崎4-2-13
会社ホームページ: https://sonare-holdings.co.jp/
<本件に関するお問い合わせ先>
株式会社ソナーレ
Contact: https://www.sonare.co.jp/
WealthPark株式会社 広報担当
Mail: pr@wealth-park.com