2023.04.18
特別対談企画(前編)「無償から有償管理へ」広島の管理開拓者である良和ハウス代表が語る不動産奮闘記
「不動産管理会社のいまを知る」をテーマに、業界をリードするゲストをお迎えし、貴重なお話をお伺いする連載企画。第21回は、広島県広島市で広島・岡山地域に向けた不動産管理業を展開する株式会社良和ハウス 代表取締役社長 和田氏、広島賃貸管理部 部長の新本氏にお話を伺いました。前編では、和田氏のパーソナルストーリー、良和ハウス入社時の思い出、管理業務を広島に根付かせるまでのヒストリーなどについてお話しいただきました。(前編/全2回)
ゲストプロフィール
株式会社良和ハウス 代表取締役 社長 和田 伸幸氏
広島県広島市出身。2006年より創業者和田良雄から良和ハウス代表取締役を引き継ぐ2012年に賃貸管理戸数中四国エリアNo.1を達成(※)。
IT技術DX化を積極的に取り入れつつ、対面によるコミュニケーションで最も大切にしているのは「おもてなしの精神」。
初めて広島に住まれるお客様に物件の案内だけでなく、広島の気候や風土など住みやすさを伝えるコンシェルジュの役割を果たすようにサービスを追求「お部屋探しのベストパートナー」をモットーに、順調に管理戸数を伸ばし続けている。
趣味はゴルフ。最近はジム通いや自転車など、体を動かすことにはまっている。
※2023年2月現在、賃貸管理戸数32,806戸、賃貸仲介数13,919戸。
目次
時代はデベロッパー全盛期。広島には、まだ管理と言う概念がなかった
――今回はよろしくお願いします。会社についてお伺いする前に、和田社長のキャリアについて簡単に教えてください。
和田:大学時代から、父が社長を務める良和ハウスで仲介業務を手伝っていましたが、外部でさまざまな経験を積みたいと考え、卒業後は注文住宅メーカーへ新卒入社し、営業として勤務していました。5〜10年は戻らないつもりでしたが、26歳のときに「3店舗目を出店するために、広島に戻ってきてほしい」との話があり、良和ハウスへ入社します。私が入社した頃は、約13名の社員がいましたが、社員の大半は両親と親族で親族を除いた社員はわずか3〜4名でした。
――入社当時の良和ハウスはどのような会社でしたか?
和田:当時の不動産業界はデベロッパー全盛期で、この頃の当社には「管理」という概念は未だない時代だったため、地主様にマンションを建てていただき、その物件へ入居者様を仲介する「賃貸仲介」が私たちの主な仕事でした。そのため入居後の建物に関する管理、入居者様・オーナー様の対応は無償が当たり前でした。
「断られる日々にめげなかった」有償管理を認めてもらうまでの奮闘
――入社後はどのような業務や取り組みをされましたか?
和田:良和ハウスでは、約1,000〜2,000戸の管理を無償で行っていましたが、水漏れや鍵の紛失など、急を要する対応に相当のリソースが割かれ、無償で行う管理業務に限界を感じ、現状を打破する方法を模索していました。そんな時、先行して広島で有償管理を行う会社が1社あったのを知り訪ねました。そちらの会社でノウハウを学び、当社と当社のオーナー様に合った「管理」を自分なりに考え、オーナー様へ「有償管理」の切り替えをお願いし始めました。
――当時のオーナー様たちは、すんなりと受け入れてくれましたか?
和田:いいえ。社長の息子ということで、その場では話を聞いてくれるものの、中々受け入れてはもらえませんでした。それでもオーナー様への説得は止めませんでした。何度か、父である社長へお叱りの電話もあったそうですから・・・(笑)。それでも、無償対応に限界が来ていること、安定したサービスを提供するためにも有償にしたいことなどを説明し続けますが、断られる日々が続きます。特に反発が強かったのは管理料の割合です。最初は家賃収入の5%に設定していましたが、なかなか応じていただけず、訪問に訪問を重ねて・・・ようやく3%で承諾が得られ始めました。この時に定めた「3%」という管理料が、広島の管理業界における一つの基準となりました。
――その後、管理戸数はどのように拡大していったのでしょう。
和田:良和ハウスが管理していた物件の全オーナー様が、有償管理へ切り替えてくれました。管理料の追加を理由に当社から離れるオーナー様がいなかったのは嬉しい限りです。
次にターゲットとしたのは、自主管理をしている新規のオーナー様です。当時の管理チームは3名。毎日、空いている物件を探し回り、「満室にできたら管理を任せていただきたい」とオーナー様に直談判していました。こうして新規オーナー様を増やしつつ、既存オーナー様が新たに建てられた物件を管理させていただくことで、管理戸数は少しずつ拡大していきました。
管理戸数が伸びた理由は「父と息子の仕事の棲み分け」
――当時の良和ハウスは管理業務に対しどのようなスタンスでしたか?
和田:当時の父は「管理」にはあまり関心がなく、賃貸仲介の店舗展開に注力していました。私が管理料の交渉をしている時期に、本件でオーナー様からお叱りの声をいただいた際にも、「息子の思うようにやらせてみよう」と見守ってくれました。
――管理業務を行う中で、印象的なエピソードがありましたら教えてください。
和田:さまざまなところに営業で出向きましたが、郊外や農家のオーナー様からは「綺麗なスーツが汚れてしまうから」と、ほとんど話を聞いてもらえませんでした。ある日、作業着姿で仕事をしている私を見かけたオーナー様が、「随分とえらい(しんどい)仕事をしとるんじゃね」と声をかけてくださいました。この時に「あ~、見た目(身なり)で判断されることもあるんだ」と気づきました。
実際に作業着で農家のオーナー様を訪問した時には、物件の話から身の上話まで1時間以上におよび座り込んで話をすることもありました。気のせいかもしれませんが、作業着姿の私に親しみを抱いてくださったオーナー様も多かったように思います。それからはずっと作業着です。最近はカジュアルな服装も多いですが、自分の根源には、今でも作業着で働く姿があります。
――管理業務を開始して約25年間が経過し、3万戸まで管理戸数を伸ばせた要因は何なのでしょう。
和田:父がフロー型ビジネス、私がストック型ビジネスを担い、仕事の棲み分けを上手くしながらビジネスの両輪を回し続けられた結果だと思います。父がデベロッパー業務に注力することで大きな資金を、私が管理戸数を少しずつ増やすことで安定した資金を毎月蓄えられるようになりました。もし、私が父と同じビジネスを追いかけていたならば、今と違った良和ハウスになっていたかもしれません。
ターニングポイントは人材の教育と育成を意識したとき
――これまでを振り返り、会社が成長したターニングポイントは何だったと思いますか?
和田:一番は人材教育と人材育成を意識したタイミングです。私が社長を引き継いでから数年が経過し、店舗そして管理戸数を増やすためにも、人を増やす必要があると思い、新卒採用を開始しました。
――新卒を採用した結果はどうでしたか?
和田:初年度は10名採用しましたが、結果は10敗です。諦めずに新卒採用を続けましたが、2〜3年間は良い結果がでませんでした。そこから私の中で「採用」→「育成」というマインドに変わり出しました。なぜなら、ただ採用しただけでは社員は成長しないし、やりがいを持って「この会社で仕事をしたい」と強く思ってはもらえないと気付いたからです。そう思われるためには、しっかり教育を行い、一人前に仕事ができるまでに育成をしようと考えました。その結果、退職率は低くなりました。
――人材を見る上で、特に意識している点を教えてください。
和田:最近でこそDXやデータ活用が着目されていますが、私たちの仕事は人で決まります。本音で言うと、最終的にはやり抜く努力と諦めない根性で決まると思っています。テクニックなどでごまかせるわけでもなく、この2つがあって良い結果に繋がります。古い考えかもしれませんが、今も昔も、良和ハウスの本質だと思っています。
――テレビCMを積極的にされていますが、これも人材獲得に向けた一歩なのでしょうか?
和田:はい。採用を重ねていくと、徐々に限界が訪れてきたため、その度に知名度の拡大を考えて、テレビCMや広告を打ってきました。直近ではタレントのさかなクンをイメージキャラクターとして起用したテレビCMを放映しました。このターゲットは、採用潜在層となる子どもたちです。さかなクンのキャラクターに加え、子どもが関心を持つようなフレーズや歌を取り入れたこともあり、良和ハウスの認知度が50%から95%まで向上しました。県内では、さかなクンを起用したことで、全国的な不動産企業として見られるようにもなりました。
インタビュアー:WealthPark Founder & CEO 川田 隆太
株式会社 良和ハウス
代表取締役社長 和田伸幸
広島県広島市西区楠木町2丁目1-1 カメリアビル
会社ホームページ: https://www.ryowahouse.co.jp/
<本件に関するお問い合わせ先>
株式会社 良和ハウス
Contact: https://www.ryowahouse.co.jp/contact
WealthPark株式会社 広報担当
Mail: pr@wealth-park.com